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(19)

額田王(生没年不明)

日本で最も古い歌集に『万葉集』とよばれるものがあります。約4500首の和歌を、20巻にまとめたものです。歌がよまれた時代は、わかっているだけでも、4世紀の仁徳天皇から8世紀の淳仁天皇の時代まで、およそ450年間にわたっています。

天皇、皇族、貴族、役人、兵士、農民、漁師、それに、家も仕事もない貧しい人など、さまざまな人びとの歌が選び集められました。編集したのがだれであるか、くわしいことはわかっていませんが、短い歌や長い歌をとおして、むかしの日本人の心が生き生きと伝えられています。

額田王は、この『万葉集』の歌をよんだ人のうち、女性を代表する、7世紀後半の歌人です。生まれた年、死んだ年はわかりません。生まれたところも大和国(奈良県)か近江国(滋賀県)か、はっきりしていません。

すぐれた才能をもっていた額田王は、神のお告げを伝える巫女だったといわれていますが、朝廷につかえるうちに、はじめは大海人皇子(のちの天武天皇)に愛され、のちには天智天皇の妃になりました。

661年、新羅に攻められて困っている百済の国を助けるために、天皇みずからが立ちあがって朝鮮へ兵を送ろうとしましたが、そのなかに、額田王も加わっていました。そして、船が伊予国(愛媛県)の熟田津(松山市付近の港)でひと休みしたときのこと、額田王は、こんな歌をよみました。

熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬいまは漕ぎ出でな

(熟田津の港で、船をだそうと月の出を待っていたら、明るい月の光に海面が輝き始めて、潮も満ちてきた。さあ、いっせいに広い海へ出発しよう)という、雄大な歌です。

額田王は、そののちも、天皇のお供をして旅や狩りにでかけては、たくさんの歌をよみました。また、宮廷では、美しい歌を作って天皇にささげました。

『万葉集』には、額田王の歌は、短歌が9首、長歌が3首おさめられています。でも、ほんとうは、天皇の名でよまれた歌のなかにも、額田王の作ったものがあるのだろう、といわれています。

自分の心を自分のことばで、しかも格調高くうたいあげた額田王の歌は、ひとりひとりの歌人が個性のある自分の歌を作るきっかけをつくり、そのごの万葉の歌に、大きなえいきょうをあたえました。


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