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太安万侶(?−723)

日本で最も古い歴史書のひとつに『古事記』とよばれるものがあります。奈良時代にまとめられたものです。

上・中・下の3巻に分かれ、上巻では、日本に天皇が現われるいぜんの神代のことがしるされています。中・下巻では、第1代の神武天皇から、第33代の推古天皇までの、天皇の歴史や国づくりの物語がつづられています。

「天皇を中心にした国家を建設していくためには、天皇の流れを明らかにして、日本は天皇の国であるということを、はっきりさせておかなければいけない」

『古事記』は、このような目的で、朝廷の力で作られました。歴史の本ではあっても、香り高い文学の味わいをもっています。

太安万侶は、この『古事記』をまとめた、奈良時代初めの学者です。若いころから朝廷につかえ、正五位から、のちには民部卿という高い官位についていました。

『古事記』は、太安万侶がまとめたとはいっても、安万侶ひとりの力でできあがったのではありません。

それよりも、およそ30年まえに、天武天皇は、朝廷につかえていた稗田阿礼という役人に、天皇のことを伝える古い資料を読ませて、それをもとに歴史の本を作ろうとしました。ところが、天皇は願いを果たさないうちに亡くなり、そのご、このしごとは、つぎの持統天皇のときも文武天皇のときも、そのままになっていました。

安万侶は、女帝の元明天皇の時代に、天皇の命令でこのしごとをひきつぎ、阿礼の読みおぼえたことを整理して、712年に、3冊の歴史の本にまとめ、朝廷に献上したのです。

『古事記』は、そのころの政治の目的で、歴史がゆがめられたところや、かざられたところが、少なくありません。しかし、古代の日本のすがたを知るには、かけがえのない本です。

安万侶は、年をとってからは、全部で30巻の『日本書紀』を著わすしごとにも加わり723年に世を去りました。2つの歴史書の完成に力をつくしたことをのぞくと、安万侶の生涯についてのくわしいことは、何もわかりません。安万侶の死ご1200年以上すぎた1979年に、奈良市で、安万侶の墓誌が発見されて、日本の歴史学者のあいだで大さわぎになりました。これほど有名な人の、これほど古い墓が見つかったのは、初めてだったからです。それまで、太安万侶はほんとうにいた人ではないのではないか、という説もありましたが、その疑いは、いちどに吹きとんでしまいました。


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