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(19)

行基(668-749)

奈良時代に、日本で初めて朝廷から大僧正という高い位をさずけられた行基は、渡来人の子孫だといわれています。

668年に河内国(いまの大阪府)で生まれ、15歳で、奈良の薬師寺に入って僧になりました。

母に孝行をつくしながら長い修業をつみ、42歳のときに母を失ってからは寺をでて町や村をあるき、貧しい人びとに仏の教えを説いてまわりました。また、口で教えを説くだけではなく、自分が先に立ってはたらき、田の水がたりなくて困っている農民や水害に苦しんでいる人びとのために、池やみぞを掘り、道を作り、土手をきずき、橋をかけました。布施屋という無料の宿泊所を建てて、家のない人たちにも、あたたかい手をさしのべました。

「心のやさしい、生き仏さまだ」

そまつな黒い衣を身につけた行基を、だれもが心からうやまい、仏の教えが聞けるときには、数千人もの人たちが集まるようになりました。

ところが、朝廷は「生き仏さま」を「こじきぼうず」とよんでにくみ、やがては、行基が寺のそとで仏教をひろめるのをきびしくとがめるようになりました。

そのころは、人びとの苦しみをすくうことよりも、国のためにいのることが仏教の役目だったからです。

しかし、行基は、どのようにとがめられても、貧しい人びとのためにつくすことを、やめようとはしませんでした。

743年、さまざまな国のみだれに心をいためていた聖武天皇は、奈良の金鐘寺(東大寺の前の名まえ)に大仏を作って、国の平和をいのることにしました。すると、このとき朝廷は、行基に大仏づくりに力をかしてくれるようにたのみました。何万人、何十万人の人手がいる大仏の建立には、人びとにしたわれている行基のたすけがひつようだったのです。

「世のなかの不安をなくするためになら、やりましょう」

行基は快くひきうけ、おおくの信者たちといっしょに銅や木材などの寄付を集め、大きな木材をはこぶための道や橋を作り、力のつづくかぎりはたらきました。

大仏は、およそ10年の月日をかけて、752年にみごとにできあがりました。でも、完成をよろこぶ人びとのなかに、行基のすがたはありませんでした。77歳のときに大僧正の位をさずけられ、大仏が完成するまえに、数えきれない信者のなみだに見送られて81歳の生涯をとじていたのです。


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