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(19)

聖武天皇(701-756)

造り始めて、およそ10年の歳月をかけて完成した、高さ約16メートルの大仏像。752年4月9日、大和国(奈良県)平城京の東大寺で、その仏像に目を入れる開眼供養の式がおこなわれ、のちに奈良の大仏としてしたしまれるようになった仏像が誕生しました。

聖武天皇は、この大仏を造った、奈良時代の天皇です。

701年に、文武天皇の第1皇子として生まれた聖武天皇は、わずか6歳で父に死に別れ、そののちの少年時代は、父のあとをついだ祖母の元明天皇と、さらにそのあとをついだ伯母の元正天皇にみまもられながら育ちました。

儒教など中国の学問を学び、仏教を深く信仰して成長した聖武天皇は、23歳で、第45代に数えられる天皇の位につきました。

ところが、天皇になって数年のちから、さまざまなことが、次からつぎに起こりました。

生まれた皇子が満1歳にもならずに死に、朝廷のなかでは皇族と藤原氏との権力争いが絶えず、九州から流行しはじめたおそろしい天然痘が国じゅうに広まりました。そのうえ、各地でききんや洪水がつづき、さらには、聖武天皇のいとこの藤原広嗣が朝廷に対して反乱を起こしたのです。

天皇は、広嗣の反乱を知ると、それから5年のあいだ平城京をはなれ、都を、山城(京都)の恭仁、近江(滋賀)の紫香楽、摂津(大阪)の難波と移しながら、仏の力にすがることを考えて全国に国分寺を建てることを命じました。

しかし、国の役所がおかれている国府に、ひとつずつ国分寺を建てることは、なかなかはかどりませんでした。そこで743年に新たに命令をだしたのが、東大寺大仏の建立です。

大仏造りは、僧の行基や豪族たちに協力を求め、10年間に合計200万人をこえる人びとがかりだされて進められました。しかし、聖武天皇は、いろいろな不安のあまりに40歳のころから病気がちになり、大仏が完成したときには、天皇の位を孝謙天皇にゆずって上皇となっていました。

大仏開眼の式を終えたとき、上皇は、どれほどうれしかったかしれません。でも、754年に中国から日本へわたってきた僧の鑑真に教えを受けたのち、大仏開眼から4年ごに55歳で亡くなってしまいました。国分寺と大仏建立にささげた生涯でした。

大仏開眼供養のときに供えられた山のような宝物や、聖武天皇の身のまわりにあった道具などは、東大寺大仏殿の近くの松林にある正倉院に、おさめられています。


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