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(20)

桓武天皇(737−806)

いまの京都市に、794年から1869年までの1100年ちかくのあいだ、日本の都として平安京がおかれていました。この平安京を開いたのが桓武天皇です。

桓武天皇は、光仁天皇の皇子として生まれ、山部王とよばれました。しかし、初めは、天皇のあとをつぐ皇太子にはなれませんでした。母が渡来人の子孫で、じゅんすいの日本人ではなかったからです。

ところが、皇太子の他戸親王が朝廷を追われる事件が起こり、山部王は36歳で皇太子になりました。そして8年ごに、天皇の位についたのです。

桓武天皇は、才能のある人びとを重く用いて、ちつじょのととのった正しい政治を、力強く進めていきました。

「貴族や僧が自分の財産をふやすことばかり考え、国の政治が乱れている。都を移し、心をいれかえて新しい政治を始めよう」

天皇になって4年めの784年には、都を、それまでの大和国(奈良)の平城京から山背国(京都)の長岡京へ移して、新しい都づくりを始めました。でも、およそ8年ごには、この長岡京の建設を中止してしまいました。都をつくる指揮をしていた藤原種継の暗殺、その暗殺事件にかかわっていたと疑われた、天皇の弟の早良親王の自殺、そのうえ、早良親王のたたりのように皇族の不幸や悪い病気の流行がつづいたからです。

793年、桓武天皇は平安京を新しい都に定めて、ふたたび大きな都市づくりを始めました。そして、翌年には早くも都を移し、それからおよそ10年、くる日もくる日も、宮殿、寺院、町、道路などの建設を進めました。

平安京をととのえながら、桓武天皇は、もうひとつ、大きな事業にとりくみました。そのころ東北地方では、むかしからそこに住む蝦夷が、朝廷にはむかって反乱を起こしていました。日本の統一を願った天皇は、3度にわたって軍勢を送り、3度めには坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して、蝦夷を討たせたのです。

しかし、桓武天皇は、805年には、都づくりも蝦夷との戦いも、やめてしまいました。

「国の大事業にかりだされるのは、いつも農民たちです。農民たちが国のぎせいになって苦しんでいます」

貴族の藤原緒嗣がこのように訴えると、天皇は、その忠告をすなおに聞き入れたのだといわれています。桓武天皇が亡くなったのは、こうして事業を中止した、つぎの年でした。


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