オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝
(20)

小野道風(894−966)

ある日、道風が、ふと柳の下を見ると、1匹のカエルが、たれさがった枝に飛びつこうとしていました。カエルは、飛びあがっては落ち、落ちては飛びあがりました。失敗しても失敗しても、あきらめません。そして、しだいに高く飛べるようになったと思うと、ついに成功しました。道風は、心をうたれ、それまで自分の努力がたりなかったことを反省して、やがて、すばらしい書家になりました。

この話は、伝説です。でも、道風が、自分の心の弱さにうち勝ってこそはじめて、歴史に残る書家になることができたことを、おもしろく伝えています。

道風は、聖徳太子の時代に遣唐使として中国へわたった小野妹子の子孫です。平安時代中ごろの894年に尾張国(愛知県)で生まれ、966年に72歳で亡くなるまで、醍醐、朱雀、村上の3人の天皇に役人としてつかえました。

しかし、先祖がどんなに血筋の正しい家がらでも、道風は、役人としては出世できませんでした。そのころの朝廷では天皇家とつながりをもつ藤原氏が政治の権力をにぎり、藤原氏以外の人びとは、たとえ家がらがよくても、才能があっても、人いちばい努力をしても、高い位にはのぼれなかったのです。

「よし、役人がだめなら、だれにも負けない書家になろう」

役人になるとまもなく、幼いころから筆を持つことがすきだった道風は、書家として身をたてることを決心しました。そして、なんどもくじけそうになるのをのり越えて、30歳には、もう日本一といわれるほどの書家になっていました。

道風が32歳になった926年に、奈良興福寺の寛建という僧が日本を代表する書を持って唐へわたりましたが、それは、道風が書いた巻物だったということです。

道風は、宮廷の書家として、天皇が命令を伝える勅書や、宮中のびょうぶを飾る詩の文字などを、おおく書きました。また、書を習う人びとのために、いくつもの手本の巻物を書きました。

しかし、いまは、『屏風土代』という、びょうぶの詩の下書きや『智証大師諡号勅書』と題する天皇のことばを伝えたものを除くと、道風の書とはっきりしているものは、ほとんど残っていません。

道風は、それまでの中国ふうのかたい書からぬけだして、やわらかい日本独特の美しさをもつ書をつくりだしました。そして、のちには、藤原佐理、藤原行成とともに、平安の三蹟とたたえられるようになりました。


もどる
すすむ