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(20)

平将門(?−940)

10世紀はじめの関東に、桓武天皇の血すじをひく平氏が、豪族として力をのばしはじめていました。平将門は、その平氏の一族平良将の子として生まれました。良将は、蝦夷をおさえるためにおかれた鎮守府の将軍でした。

将門は、少年時代に京都へのぼって、貴族の藤原氏につかえました。将来、強い権力をもつために、朝廷からおくられる高い官位がほしかったからです。

ところが、10数年ごに、望むような官位をもらえないまま、すでに父が亡くなった故郷へ帰ってみると、思いもかけないことになっていました。将門が父からゆずりうけた領地を、おじの国香、良兼、良正が自分たちのものにしていたのです。

将門は、領地を返してくれるように、何度もおじたちにたのみました。でも、おじたちは、なんの返事もしないばかりか、将門が新しく土地をひらこうとすることにも妨害を加え、さらには、大軍をひきいて攻めたててきました。

「いくらおじとはいえ、もう、がまんならない」

将門は立ちあがりました。初めは不意をつかれて苦戦でした。しかし、にくしみをもやして兵をたてなおすと、おじたちの連合軍を一挙にやぶり、国香を殺してしまいました。

そののちも良兼、良正との戦いはつづきましたが、将門はことごとくうちやぶり、35歳のころには関東一の武将として、おそれられるようになりました。

939年、将門を、悪い運命へひきずり込む事件がおこりました。朝廷の政治に不満をいだく常陸国(茨城県)の藤原玄明をかくまい、国の役所の国府を攻めて焼きはらったのです。しかも、勢いにのって、下野国(栃木県)から相模国(神奈川県)、駿河国(静岡県)へと勢力をのばし、やがて下総国(茨城県)に城をきずいて「わたしは新皇だ」と名のったからたまりません。

「将門は、朝廷にはむかう国賊だ。ただちに討ってしまえ」

朝廷は、藤原忠文を征夷大将軍に任命して、将門を討つ軍を関東にさしむけてきました。

将門は、下総に陣をしいて敵をまちうけました。ところが、忠文の軍がやってくるまえに、兵を休めているところを国香の子の貞盛らの兵におそわれ、将門は頭に矢をうけて、あっけない最期をとげてしまいました。天下をとるほどの野望にもえていた将門は、このとき、まだ40歳にもなっていませんでした。

同じころ瀬戸内海でおこった藤原純友の反乱と、将門の、この関東での争いをあわせて、承平・天慶の乱といいます。


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