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(20)

源信(942−1017)

源信が、まだ15歳のころ、仏教を深く学んでいることがみとめられて朝廷へまねかれ、法華経の講義をしてたくさんのほうびをもらいました。源信は、その喜びを母へ伝えました。すると、母からの返事には、きびしいことばがつづられていました。

「あなたの名が高まるのを望んではいません。修行をつみ、世を救えるりっぱな僧になってくれることだけを願っています」

源信は、母のこのことばに心をうたれ、そののちは自分の欲望を捨てて、修行ひとすじにうちこんだということです。

源信は、浄土教を広めた、平安時代中ごろの僧です。942年に大和国(奈良県)で生まれると、7歳で父を亡くし、その父の遺言で9歳のとき比叡山にのぼり、延暦寺の僧良源の弟子になりました。生まれつきすぐれた才能をもっていた源信は、またたくまに山のような仏教の本を読みつくしました。そして、まだ10歳をすぎて数年もたたないうちに、その名は朝廷にまでとどき、僧としての出世の道は大きくひらかれました。

しかし、ここで母からの手紙が源信の歩む道をかえさせたのです。母のいましめで心を入れかえなかったら、たとえ地位の高い僧になることはできても、のちの世まで名僧とたたえられるようには、ならなかったかもしれません。

そののちの源信は、延暦寺の北の恵心院にこもって、一心に、仏の道をさぐりました。源信が恵心僧都とよばれるのは、ここで修行と勉強にはげんだからです。

985年、43歳の源信は、全部で3巻の『往生要集』という本を著わしました。それは数限りないお経の本から、地獄と極楽のありさまを示したところをぬきだして、極楽浄土に生まれかわることのありがたさを説き、その極楽浄土へ行くためには、なぜ念仏をとなえなければならないのか、また、念仏はどのようにとなえるのがよいのかを教えたものです。

「ひたすらに念仏をとなえれば、だれでも極楽へ行ける」

貴族も民衆も、この教えにとびつきました。また、この『往生要集』は中国へもおくられて、宋の人びともすぐれた内容におどろき、源信をうやまったということです。

62歳のときには、朝廷から権少僧都の位がおくられましたが、栄誉をのぞむ気持ちはなく、その位は朝廷へ返しました。源信は『往生要集』のほかにも、人を極楽へみちびく本をいくつも書いて、75歳で生涯を終えました。そののちの鎌倉時代には浄土教がさかんになりましたが、そのもとになったのは『往生要集』でした。


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