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清少納言(生没年不明)

『枕草子』は、『源氏物語』とならんで平安文学を代表する作品です。作者の清少納言は、紫式部と同じように歌人の娘であり、中宮にもつかえていました。しかし、ふたりの性格は陽と陰にたとえられるほどまったく正反対であったといわれます。

清少納言の本名はわかっていません。清原元輔の娘なので、清原の1字をとって清少納言とよばれたのでしょう。父の元輔、曽祖父の深養父とともに歌人としてもすぐれた仕事を残しています。このように学問に秀でた家系と環境のなかで生まれ育った清少納言は、おさないころから和歌や漢学を学びました。そのころ、漢籍(中国の本)や仏典(仏教の教えをといた本)を読める女のひとはめったになく、清少納言や紫式部はほんとうにめずらしい存在でした。そのため関白藤原道隆は清少納言を娘の定子に仕えさせました。

清少納言は16、7歳のころに橘則光と結婚し、翌年に則長を生んでいます。早い結婚のように思われますが、当時、10代の結婚はふつうでした。しかし、この結婚は10年ほどして破局を招いています。どちらかといえば武勇にすぐれていた則光と、文学好みの清少納言とでは性格があわなかったのかもしれません。

一条天皇の中宮定子に仕えるのは、離婚して2年のちのことです。28歳前後であったと思われます。

清少納言の機知にとんだエピソードは『枕草子』にも書かれておりよく知られていますが、男のひとをものともしない、実にどうどうとしたところがあります。ひっこみじあんでいつも人目を気にしていた紫式部とは好対照です。

ある雪の降り積もった日、中宮定子が言いました。

「少納言よ、香炉峰の雪はどんなでしょうね」

すると、清少納言がさっと立ちあがり、すだれを高くまき上げたので、定子はにっこり笑いました。

中国の白楽天という人の詩のなかに「香炉峰の雪は、すだれをかかげて見る」という句があったからです。

「さすがは清少納言だ。学問のある中宮さまにお仕えするにはまったくふさわしいお方だ」

まわりの者は清少納言をほめたたえました。

関白藤原道隆が亡くなったあとも、落ちめになった定子をいたわり、励まし、清少納言は真心をもって仕えました。定子が25歳で亡くなると、つぎの中宮になっていた彰子に仕えてほしいという道長の頼みをふりきり、宮廷をしりぞきました。

『枕草子』には、このころのことが随筆風に記されています。


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