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(20)

鳥羽僧正(1053−1140)

すもうをとって、カエルに投げとばされているウサギ、衣をまとい、和尚になりすまして、ごちそうをいただいているサル。このほか、馬、牛、キツネ、イノシシ、ニワトリなど、さまざまな動物たちを、まるで人間のようにえがいた『鳥獣戯画』。

鳥羽僧正は、このめずらしい絵をかいたといわれている、平安時代の終わりのころの僧です。

僧正は、朝廷につかえる公家の家に生まれ、幼いうちに出家しました。そして、天台宗の園城寺で修行をつんで、26歳のとき法橋の位を受けました。年老いてからは、さらに法印、大僧正の位にまでのぼり、85歳のときには天台宗をとりしまる延暦寺の座主にまでなりました。僧としてのほんとうの名は覚猷といいましたが、京都の鳥羽離宮内の寺に長く住んだことがあることから、鳥羽僧正とよばれるようになったのです。

僧正は、僧として高い知識をそなえていただけではなく、仏像画をかくことにも、すぐれていました。また、のちに鳥羽絵として流行するようになった、世の中をひにくったこっけいな絵をかくことも、じょうずでした。

あるとき、米俵が風に吹かれて飛んでいる絵をかきました。すると、上皇から、絵の意味をたずねられました。重い米俵が飛んでいるのがふしぎだったからです。僧正は答えました。

「寺にとどけられる俵に、ぬかをたくさんつめたものがあります。だから、俵は目をはなすと、空に舞いあがってしまいます」

この話を笑いながら聞いた上皇は、俵に米をつめるときに不正がおこなわれていることをさとって、すぐに役人をいましめたということです。鎌倉時代の説話集に残っている話です。

僧正が50歳をすぎたころから、延暦寺や興福寺などの大きな寺で、たびたび、権力をめぐって僧たちの争いが起こりました。そのため、おおくの僧は修行をおこたり、仏教の世界はみだれてしまいました。

『鳥獣戯画』も、このような社会をひにくったものだろうといわれています。サルの僧が、たくさんのみつぎものをもらっている絵などには、貴族と僧のだらくに対する、するどいひはんがこめられています。

しかし、この『鳥獣戯画』が、ほんとうに鳥羽僧正の手でえがかれたものかどうか、はっきりはしていません。でも、この絵巻ものが、墨の線だけでえがいた、すぐれた日本画であることにはまちがいなく、いまは国宝として、京都の高山寺に保存されています。


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