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(21)

西行(1118−1190)

平清盛と同じ1118年に生まれ、72年の生涯を旅また旅に終わった僧の西行は、平安時代の歌人です。しかし、22歳のときにとつぜん佐藤義清という名を捨てて出家するまでは、鳥羽上皇につかえて弓の名人といわれたほどのりっぱな武士でした。

武術にすぐれていた武士が、なぜ出家したのか、はっきりはわかりません。ある友人の死を悲しんで仏の道に入った、ある高貴な女性に失恋した、などと伝えられています。

かみしもを、そまつな衣に着がえた西行は、数年のあいだは京都のまわりの寺や小さな草ぶきの家で暮らし、やがて、奥州(東北地方)へ旅立ちました。そして、歌をよみながら、白河関や平泉、衣川などをめぐり、都にもどってからは、僧の修行をつむために高野山へのぼりました。

しかし、修行のかたわら、旅にあこがれてたびたび山をくだり、あるときは四国へわたって空海が生まれた讃岐(香川県)をたずね、旅の空の下で歌をよみつづけることだけは、いつになってもやめませんでした。

西行が、僧だというのに修行にはうちこまず、いつも歌をよんでいると聞いて、高野山の文覚上人は、初めは怒りました。ところが、僧の修行以上にしんけんに歌を作っている西行をひと目見てからは、何もいわなくなったということです。

1180年には平重衡によって東大寺が焼かれ、その翌年には国じゅうに大ききんが起こり、1185年には壇ノ浦で平家がほろび、西行は世の中の乱れと不安を悲しみました。そして、68歳のとき、平泉の藤原秀衡に東大寺を建てなおす寄付金をあおぎに、ふたたび奥州への旅にでました。

この旅のとちゅう、鎌倉で源頼朝と会ったときのこと。弓や歌の話でひと晩をすごした西行は、楽しかった話の礼に、頼朝から銀でつくった猫の置きものをもらいました。ところが、頼朝の屋敷をでるとまもなく、西行はその置きものを、道で遊んでいた子どもに惜しげもなくあたえてしまいました。

この話は、いい伝えかもしれません。でも、西行は、それほど欲のない心の美しい人だったということです。

西行は、美しい自然を愛しました。とくに、春の桜と秋の月を深く愛しました。しかし『新古今集』『山家集』『千載集』『聞書集』などの歌集におさめられている数おおくの歌のなかには、人生の苦しみをみつめたものが少なくありません。

宮廷歌人が身をたてるために歌をよんだのとは異なり、西行は歌をよみながら、いつも自分の心を洗いつづけたのです。


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