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(22)

後醍醐天皇(1288−1339)

後醍醐天皇は、1318年に、30歳で即位しました。このとき鎌倉幕府の実権をにぎっていたのは、執権職の北条高時です。

幼いころから激しい気性の持ち主だった天皇は、幕府が朝廷のことにまで口をだすのが、不満でしかたがありませんでした。平安時代の初めに醍醐天皇がおこなったように、天皇自身の考えで、国の政治を進めたいと思ったからです。後醍醐という名からも、その望みがたいへん大きかったことがわかります。

「政治の実権を手に入れるためには、高時を討たなければ……」

天皇は、ひそかに、倒幕の計画を進めました。しかし、計画は事前に幕府にもれて、計画にくわわっていた貴族たちは、捕えられてしまいました。1324年におこった正中の変です。

あきらめきれない天皇は、大きな寺や各地の武士を味方につけて、ふたたび、倒幕をくわだてました。ところが、またも秘密が幕府にもれてしまいました。

こんどは、貴族ではなく、自分の身が危険です。天皇は笠置山(京都府)にのがれ、楠木正成らを味方につけて、幕府軍と戦いました。しかし、幕府の大軍に勝てるわけはありません。天皇は捕えられ、隠岐島(島根県)へ流されてしまいました。

1333年、天皇は隠岐をぬけだし、幕府に不満をもつ伯耆国(鳥取県)の豪族名和長年のもとで、みたび立ちあがりました。そして、こんどこそ鎌倉幕府を滅ぼして京都へ帰りました。幕府に謀反をおこした足利高氏(尊氏)や、上野国(群馬県)の武将新田義貞らに、幕府を討たせたのです。

「くじけずに戦ったかいがあった。これで天皇の政治ができる」

46歳になっていた天皇は、年号を建武と改め、政務のための記録所や、争いごとを解決する雑訴決断所などを新しくもうけて、天皇中心の政治「建武新政」を始めました。

しかし、やっと実現した新政は、わずか1年でくずれてしまいました。武士よりも貴族をたいせつにする新政に不満をいだいた尊氏が、自分の力で武家政治をおこなうために、兵をあげたからです。1336年、戦いに敗れた天皇は、尊氏の力で、天皇の位を光明天皇にゆずらされてしまいました。

またも追われる身になった天皇は、吉野(奈良県)へのがれました。そして新政への夢をさらにつないで、もう1つの朝廷をつくりました。これが2つの朝廷が並ぶ南北朝の始まりです。

その後の天皇は、北朝(京都)と南朝(吉野)の統一に苦心しました。しかし、願いを果たせないまま病にたおれてしまいました。天皇の政治のために戦いつづけた、波乱の生涯でした。


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