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(23)

足利義満(1358-1408)

京都の名所のひとつに、金色に輝く金閣があります。足利義満は、この金閣を建てた、室町幕府の第3代将軍です。

室町幕府を開いた足利尊氏の孫として生まれた義満は、父の義詮のあとをついで、わずか10歳で将軍となり、初めは、幕府最高職の管領をつとめる細川頼之の助けをかりて、政治を進めました。とくに、幕府の力を強めることと、財政を豊かにすることに努力しました。誕生して30年しかたっていない室町幕府は、まだ、しっかりしたものになっていなかったからです。
  
将軍になって10年ご、自分の力で政治を動かしていくことを決心した義満は、京都の室町に大きな屋敷を建てました。広い庭には四季の花が咲きみだれ、人びとは 「花の御所」 とよんだということです。
  
義満は、まず、幕府の威力を示して全国を統一するために、諸国をめぐりました。そして、幕府内で義満に不満をもつ関東の足利氏満、山陰で反抗をつづける山名氏清などをおさえ、国じゅうの武士を支配する夢をなしとげていきました。
                 
つぎには、1336年いらい南朝(吉野)と北朝(京都)のふたつになっていた朝廷を、ひとつにまとめることに力をつくしました。
 
祖父の尊氏が室町幕府をおこしたときに始まった朝廷の分れつは、幕府を1日も早く安定させるのにさしさわりがあったからです。義満は、南朝と北朝が交代で天皇をつとめることを提案して、1392年に、南北統一のねがいを果たしました。
       
1394年、36歳の義満は将軍職を息子の義持にゆずり、自分は公家の最高官位の太政大臣の位につきました。天下をおさめるために、武家と公家の両方を支配する権力を自分のものにすることを、のぞんだのです。
   
京都の北山に金閣を建てたのは、1397年のことです。1階を公家風の寝殿造、2階を武家風の書院造、3階を禅宗風の仏殿とした金閣には、武家、公家のほか社寺までも支配しようとした義満の気持ちが、よく表われているといわれています。
      
そのごの義満は、天皇と同じようなふるまいをして、権力の大きさを誇り、金閣を建ててからおよそ10年のちに、金閣のようにはなやかな生涯を、50歳で終えました。もう少し長く生きたら、ほんとうに天皇の位にまであがったかもしれません。
   
義満は、権力をふるういっぽう、明(中国)との貿易をさかんにしました。また、ぜいたくな生活を楽しみながら、猿楽、連歌、茶の湯、絵画などの文化をたいせつにしました。この時代の文化を、金閣の地名から名づけて北山文化とよびます。


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