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(23)

斎藤道三(1494−1556)

美濃(岐阜県)稲葉山の城下に「一文銭の油売り」とよばれる若い商人が、人気を集めていました。

油を売るとき、客がさしだした壷の口に一文銭をあて、一文銭のまん中にあいている小さな穴を通して、油をそそいでみせます。少し高いところから油をそそいでも、一文銭の穴のまわりをぬらすことはありません。人びとは、このみごとな油そそぎのわざを楽しみに、われもわれもと油を買いにきました。

この男こそ、のちに美濃の支配者となった斎藤道三です。

道三というのは、美濃支配の望みを果たしてからの名です。幼いころの名は、峰丸といいました。

峰丸は、10歳をすぎたころ、わが子を出世させたい父の考えで、京都の寺にあずけられ、法蓮坊と名のりました。学問を身につけていく力は、おどろくほどだったということです。

ところが、修行なかばで美濃へまいもどってしまいました。たとえ僧でも家がらがよくなければ出世できないことに怒って、寺をとびだしたのだといわれています。油商人の娘とむすばれ、名を庄五郎と改めて油売りをはじめたのは、このときです。

しかし、まもなく、一文銭の油売りのみごとさを武士にほめられたことから、自分も武士をこころざし、27、8歳のころには油売りをやめて、武芸にはげむようになりました。そして、やりのけいこをはじめたと思うと、一文銭の穴にやりを突き通してみせるほどに上達して、またも人びとをおどろかせました。

やがて庄五郎は、美濃国を支配する守護大名土岐氏の家臣長井長弘にみとめられて、ついに、武士になりました。出世をのぞんでいた庄五郎の胸に、戦国大名への夢がもえはじめたのはとうぜんです。やりの名人とたたえられるようになった「一文銭の油売り」は、力で人を征服する武士の道を、まっしぐらに進んでいきました。

1542年、48歳のときに、とうとう、美濃国を手に入れてしまいました。西村勘九郎利政、長井新九郎利政、斎藤新九郎利政と名をかえながら、自分の出世のために、自分がつかえた主君をつぎつぎに討って、野望を果たしたのです。

稲葉山城の城主となると、頭をまるめて道三と名のり、こんどは身のまわりをかためるために、自分の娘を織田信長にとつがせました。でも、道三の運命も、これまででした。

最後の敵となったのは、しかも、わが子の義龍です。あとつぎ問題から親子で争い、長良川ふきんでの戦いに敗れて首をはねられてしまいました。いかにも戦国の武将らしい生涯でした。


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