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(25)

俵屋宗達(生没年不明)

京都市東山区にある建仁寺に『風神雷神図』をえがいた国宝のびょうぶが残っています。鬼のような顔をした、風をつかさどる神と雷をつかさどる神が、雲に乗って空を飛んでいる日本画です。金色のびょうぶの右左にえがいた神は、いまにもあらしを起こしそうな迫力にあふれ、江戸時代の日本画の最高けっ作のひとつに数えられています。

この名画をかいたのが俵屋宗達です。

宗達は、この名画が物語るとおり、江戸時代初めのころの、すぐれた日本画家です。しかし、生涯のことは、ふしぎなほど不明です。生まれた年や死んだ年さえわかりません。絵のほかには、宗達のことを伝えるものが、ほとんどないからです。

宗達が初めのころにえがいたものは、扇、色紙、短冊、本などを飾った小さな絵でした。金銀の粉をとかした絵のぐでかいた、金銀泥絵とよばれるものです。書の名人本阿弥光悦が書く文字の下にえがいたものが有名ですが、数では扇絵がおおく、宗達は京都の町で扇屋を開く町絵師だったのだろう、と考えられています。

しかし、ただの町人絵師ではありませんでした。茶道の名人千利休の次男の少庵を茶の湯の会に招いたことが伝えられており、文化人とのまじわりのおおい、教養の深い人物だったようです。生活も豊かだったにちがいありません。

四季の草花、波、鹿などをおおくえがいた金銀泥絵のあと、やがて宗達は、大きな水墨画にいどむようになりました。

1621年に、京都養源院の、ふすま20面にえがいた松の絵、杉戸4枚にえがいた獅子や象の絵が、初めての大作です。そして、そののち10年ぐらいのあいだに『風神雷神図』をはじめ『松島図』『源氏物語関屋澪標図』などのびょうぶ図の名画を、つぎつぎにえがいていきました。

宗達は、生きているあいだに、朝廷から、すぐれた仏師とか僧、歌人、絵師、医者などにあたえられる、法橋という位をさずけられていましたが、この法橋という位を受けたのは、水墨画の大作をえがき始めたころとみられています。

初めは職人のような町絵師だった宗達は、それまでの日本画に、いかにも町人あがりらしい大たんな技術を加えて、自分だけの絵の世界をきずきあげたのです。

宗達には、金銀泥絵をかいていたころから、たくさんの弟子がいました。しかし、美しい広がりをもつ絵は、ほとんど、だれにもひきつがれませんでした。


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