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(26)

三井高利(1622-1694)

三井高利は、一代で巨万の富をきずきあげた、江戸時代初めのころの大商人です。

1622年、伊勢松阪で質屋と酒屋をいとなむ商家の4男に生まれた高利は、11歳のときに父を失うと、まもなく江戸へでて兄の小間物屋ではたらき始めました。

幼いときから家の商売を見てきた高利は、兄がおどろくほど、商いのものおぼえがよく、16歳をすぎたころには、兄から店をまかされるほどになっていました。

しかし、27歳で、いちど松阪へ帰って母につかえました。そして、さまざまな商売を学んで、ふたたび江戸へすがたを現わしたのは、51歳になったときでした。

1673年8月、江戸本町に呉服屋を開きました。越後屋と名づけた小さな店でした。

越後屋は、まわりの大きな呉服屋をしのいで、またたくまに、たくさんの客でにぎわうようになりました。高利が、新しい方法で、商いを始めたからです。

このころの呉服屋は、売れた品物はすぐ客に渡して、代金は、6月や12月に、まとめて払ってもらうというのがふつうでした。だから、代金に利子がつく分だけ、ねだんが高くなってしまいます。また、反物は、1反単位でしか売りませんでした。そのため、少しの布しかいらない人びとは困っていました。

高利は、ここに目をつけて、品物は現金で安く、しかも、お客の注文があれば、どんな半ぱな布でも売り、そのうえ、着物の仕立てまでひき受けたのです。

呉服屋で大成功した高利は、61歳のときには両替屋を開いて、いまの銀行と同じような仕事もするようになりました。そして、のちには京都と大坂にも呉服屋と両替屋を開き、江戸幕府とも取り引きをむすんで、大名さえも頭をさげるほどの大商人へ、のしあがっていきました。

江戸時代は、高利のような商人の力で町が栄え、町人の生活が豊かになり、町人たちの文化が発達していったのです。

遊びごとにはいっさいふりむかず、商売ひとすじに生きた高利は、1694年に72歳で亡くなりました。このとき残されていた財産は、8万両を超えていたといわれます。

しかし、この財産は、高利の遺言で肉親たちに分けてしまわず、三井家みんなのものとされ、そのごの三井家の事業につぎこまれました。そして、呉服屋は百貨店へ、両替屋は銀行へと発展して、三井財ばつといわれるものを形づくっていきました。


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