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(27)

井原西鶴(1642−1693)

江戸時代も、5代将軍綱吉のころになると平和がつづき、武士の権威はしだいに落ちていき、いっぽうで大商人がぞくぞくあらわれ、町人の世界はいちだんと活気をおびてきました。西鶴は、そういう町人の生活や感情をいきいきととらえ、すぐれた作品を数おおく残した江戸時代の代表的な小説家です。

西鶴は、大坂(大阪)の裕福な町人の子として生まれたようですが、おいたちについてはほとんどわかっていません。15歳のころから俳諧をつくりはじめ、21歳のときに専門の俳諧師になりました。このころの俳諧は、貞門派といって用語のこっけいさを基本としたものでした。西鶴が30歳のころ、新しい俳諧をつくろうという一派が現われました。この派は、談林派といい、自由でユーモアのある誰にも親しめる俳諧をめざしました。貞門派の俳諧に不満をいだいていた西鶴は、談林派の中心となって活躍をはじめました。

さらに、俳諧は即興で作るべきだと考えた西鶴は、1677年1昼夜に1600句を制作してみせました。これは矢数俳諧とよばれるもので、2度目には4000句を、1684年におこなった3度目にはなんと2万3500句を、24時間ぶっとおしでよんでみせました。4秒間に1句という驚くべき想像力です。西鶴は、これを最後に俳諧をやめました。というのも、その2年前に『好色一代男』というはじめての小説を発表し、好評だったからです。

「ここには、浮世(この世)がみごとに写しだされている」

西鶴のこの小説は、のちに「浮世草子」とよばれるようになり、おりからの矢数俳諧の名声も手つだって、町人たちのあいだに爆発的に売れていきました。

西鶴は、それからの11年間に、たくさんの作品を書きました。自由な構想、奇ばつな描写、俳諧でみがかれた文体は、たいへんわかりやすいうえに新鮮で、登場人物は、みんないきいきしていました。

作品は大きく3つにわけられます。『好色一代男』をはじめ『好色五人女』『好色一代女』など、好色物といわれる作品群。『武道伝来記』や『武家義理物語』など武士の義理と人情や仇討ちなどをあつかった武家物。『日本永代蔵』や『世間胸算用』など町人たちのくらしぶりを描いた町人物です。

とくに町人物にすぐれた作品がおおいといわれるのは、やはり西鶴が町人の出で、町人の生活をよく知っていたからでしょう。その写実的な手法は、庶民文学の創始者として、近代文学に大きな影響を与えています。


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