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(28)

賀茂真淵(1697-1769)

賀茂真淵は、江戸時代中ごろの国学者です。また、万葉ふうの和歌をよんだ歌人でもあります。

真淵は、徳川綱吉が幕府を治めていた1697年に、遠江国(静岡県)浜松で生まれました。父は神社をあずかる神官でしたが、家は貧しく、家族は農業をして暮らしをたてなければなりませんでした。

幼いころから学問がすきだった真淵は、10歳のころから国学、漢学、歌を学びながら成長し、やがて30歳をすぎると京都へでて、国学者荷田春満の門に入りました。

ところが、数年ごに春満が亡くなり、先生を失った真淵は江戸に移って塾を開き、若い人びとへ講義をしながら国学の研究にはげむようになりました。また、49歳から63歳までの15年間は、江戸幕府8代将軍吉宗の子の田安宗武にめしかかえられ、日本古代の研究を深めていきました。

「日本人のほんとうの心は、古典のなかにある。われわれは、日本の古い文学や歴史を見なおさなければだめだ」

真淵が考えたのは、中国から渡ってきた儒学の教えなどよりも、日本古代からの学問や文化をたいせつにして、日本という国を、もういちどしっかり、とらえなおそうということでした。

「日本人の心は、天皇から名もない貧しい人の歌まで、およそ4500首を集めた万葉集のなかに、いちばんよく表われている」

真淵は、万葉集の研究にとりかかりました。そして、歌の意味や、よんだ人の心を深く考え、ひとつひとつの歌に解説を加えた『万葉考』と題する本を出版しました。また、日本の古代からのことばや思想などについて考えた『文意考』『歌意考』『国意考』なども、次つぎに著しました。

いっぽう、国学の研究といっしょに歌もよみつづけました。とくに、上品さをたいせつにする新しい歌よりも、自分の心をそぼくに表わす古い形の歌をおおく作り、日本の和歌のほんとうの美しさを、人びとに見なおさせました。

国学と和歌ととおして日本を愛した真淵は、1769年に72歳で世を去りました。

しかし、国学の研究は、『古事記伝』を著した本居宣長から、さらにその門人の平田篤胤へと受けつがれ、のちに、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤の4人を、国学の四大人とよぶようになりました。そして、この国学の思想は、そのごの日本人の心にはかりしれないえいきょうをあたえ、やがては明治維新の志士を生む、大きな力にもなりました。


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