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(28)

与謝蕪村(1716-1783)

春の海ひねもすのたりのたりかな

この名句で知られる与謝蕪村は、1716年に、摂津国(大阪)の農家に生まれました。少年時代のことはよくわかりませんが、両親を早く亡くし、さみしさをまぎらすためか、いつも文学や絵に夢中になっていたと伝えられています。

20歳のころ、ひとりで江戸へでて、俳句と絵を学び始めました。ところが、5年のちに俳句の師とあおいだ夜半亭宋阿が亡くなると、50数年まえに俳人芭蕉が歩いたあとをしたって、気ままな旅にでました。そして、およそ10年のあいだ、自由に句を作り絵をかき、1751年に京都へおちついたときには35歳になっていました。

ふるさとに近い京都で、蕪村がまずうちこんだのは、学者や文人たちがおおくえがいたことから文人画とよばれるようになった、日本画でした。

「文人画の名人池大雅の絵とならぶ、けっ作だ」

自然を深く見つけた絵は人びとの心をとらえ、45歳をすぎた蕪村は、おしもおされもせぬ文人画の大家になりました。

蕪村には、絵の師はいませんでしたが、名画を見て学び、心の目でものを見つめて、自分の絵を完成させたのです。

いっぽう、50歳をすぎてからは、ふたたび俳句の世界へもどり、54歳のときに、まわりの人びとにおされて夜半亭の2代めをひきつぎ、俳諧の宗匠になりました。

このころから蕪村は、絵をかく心と句を作る心をかさねて、まるで、目の前に美しい景色を見るような句をよむようになり、夜半亭にはおおくの門人たちが集まりました。

菜の花や月は東に日は西に

牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片

こんな句を口ずさむと、夕暮れどきのまっ黄色の菜の花畑の美しさや、地に落ちた牡丹の赤い花びらのあざやかさが、まぶたの奥に広がってきます。しかし、美しさの裏がわに、さみしさと悲しさを秘めた句です。

蕪村は『野馬図』『四季山水図』などの名画と、およそ3000の紀行文に絵をつけた俳画も残して、1783年に、67歳の生涯を終えました。

つねに人生を見つめた芭蕉の句にくらべ、蕪村の句は、さほどのきびしさはありません。しかし、美しさとあたたかさにあふれ、今も、芭蕉の句とともにおおくの人に親しまれています。


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