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(28)

田沼意次(1719-1788)

田沼意次は、江戸時代中ごろの、幕府の政治家です。父は足軽から身を起こした、あまり身分の高くない武士でしたが、第9代将軍徳川家重と第10代将軍家治につかえた意次は、将軍のそばで雑用をする小姓から、将軍の命令を老中へ伝える御側用人へ、さらに幕府最高職の老中へと、おどろくほどの大出世をしました。

幕府の中心で活躍するようになった意次は、将軍さえもあやつるほどの権力をふるい、思いきった政治を、次つぎに実行していきました。しかし、それは民衆のための政治ではなく、すべて、幕府を豊かにするためのものでした。

まず、海産物の加工を盛んにしてオランダや中国へ輸出し、かわりに金や銀を輸入するようにしました。

次に、銅、鉄、真ちゅう、菜種油、生糸、朝鮮人参、石灰、硫黄などを幕府がすべてとりしまる制度をつくり、一部の商人に生産や売り買いの許可をあたえるかわりに、その商人には高い税をおさめさせて、幕府がうるおうようにしました。

また、新しい貨へいを造ることや、鉱山を新しく開くことに力を入れたほか、下総国(千葉県)印旛沼を干しあげて農地を広げることや、蝦夷(北海道)を開拓することなども計画しました。

外国との貿易や蝦夷の開拓に目を向けた意次は、たいへん進んだ考えをもっていたのです。

ところが、幕府のことを中心に考えた政治は、やがて、みにくいことをさらけだすようになっていきました。それは、特別な商人にだけ商売の権利をあたえたことにより、幕府の武士や役人と商人のあいだで、わいろがやりとりされるようになったことです。そして、お金の力で政治がゆがめられるようになってしまいました。

いっぽう、大ききん(天明の飢饉)が広がっているというのに、貧しい人びとを救う政治はおこなわれず、そのため都市の町民は米屋や質屋をおそい、農民は一揆を起こして領主をおそい、世の中はすっかり乱れてしまいました。

こうなると、意次の政治へのひはんが強まるのはとうぜんです。1784年に、意次の長男の意知が、江戸城で殺される事件が起こると、2年ごには、意次も老中職を追われてしまいました。政治の権力をにぎっていたあいだ、意次の家には、わいろの金銀が山をなしていたといわれています。しかし、この話は、事実かどうかわかりません。意次は暗い心のまま69歳で亡くなりましたが、この時代に、学問や芸術はたいへん栄えました。


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