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(31)

前島密(1835−1919)

明治初期に、はじめて郵便制度がしかれるまで、手紙は飛脚が人をやとって配達していました。その飛脚から近代郵便制へとみちびいたのが前島密です。

1835年、密は越後(新潟県)に生まれました。生まれるとすぐに両親を亡くし、12歳のときに、医者になるため江戸に出ました。しかし、ペリーの浦賀来航の事件を知った18歳のころから、これからの日本に必要なものは何かを、真剣に考えるようになりました。そして、国の守りの状態を見てまわったり、機関学、航海術を学んだり、長崎に出てアメリカ人から英語を学んだりしました。

幕府内の革新をすることによって、近代日本をつくることを思いたった密は、幕府に仕えました。31歳のときでした。やがて世の中は激しくゆれ動き、明治の時代になり、密は新政府にまねかれてはたらくことになりました。そして、東京遷都や鉄道に関する意見書を出すなどの活躍をして、数か月後には、駅逓の責任者になりました。そのころの駅逓というのは、交通や通信をあつかうところですが、まだその当時は、飛脚問屋を監督する仕事が中心でした。

長崎で英語を学んでいたときに、外国の書物を読んだりアメリカ人教師から外国の郵便のしくみについて聞いていた密は、外国に学ばねばならないと強く考えるようになりました。そこで政府に願い出て、1870年から1年間、アメリカからヨーロッパの国ぐにをまわり、郵便の研究と調査をつづけました。この間に、密の構想していた政府の手による郵便制度(まず東京ー大阪間)が実施されました。これが1871年、近代郵便制度のはじまりです。

帰国後、駅逓頭という最高責任者となった密は、外国で学び考えてきたことを、次つぎと、情熱的に実行に移しました。まもなく東京の町に書状集箱という、いまのポストをおいたのを手はじめに、たくさんの町に郵便局をおき、たちまち郵便路線は全国に広がっていきました。手紙だけでなく、お金や新聞、本などを取りあつかう制度もはじめました。こうして郵便の制度を政府の事業にし、距離によってちがっていた料金は全国均一にして、郵便を国民にとって身近なものにしていったのです。

密は、郵便のほかにも、電話や鉄道の普きゅう、新聞の発刊や、日本発の盲人学校の設立、国語改良運動などをおこないました。また、大隈重信らと立憲改進党の創立に参加したり、東京専門学校(いまの早稲田大学)の校長もつとめました。


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