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(33)

小泉八雲(1850ー1904)

目が見えない芳一は、毎晩、ふしぎな屋敷にまねかれて、琵琶をひきながら平家物語を語って聞かせました。語りが進むと、いつも、武士たちのすすり泣きの声が聞こえてきました。ところが、屋敷だと思っていたのは、人ひとりいない墓場でした。芳一は、壇ノ浦の戦いでほろびた平家の武士たちの亡霊によびだされていたのです。これを知った芳一は、からだじゅうに魔よけのお経を書いてもらって、寺にとじこもっていました。しかし、その夜、芳一の耳は寺へやってきた亡霊にひきちぎられてしまいました。耳にだけ、お経を書いてもらうのを忘れていたからです。

これは、小泉八雲が書いた『耳なし芳一』という怪談です。

八雲は、本名を、ラフカディオ・ハーンといいました。1850年にギリシアで生まれ、父はイギリス人、母はギリシア人でした。でも、まもなく両親が離婚してしまったため、ハーンはみなし子のようになり、父の叔母にひきとられました。そのうえ、15歳をすぎたころ、その叔母の破産と、父の死にあい、卒業まぢかの学校もやめなければなりませんでした。

ハーンは、19歳のとき、ひとりでアメリカへ渡りました。そして、やがて新聞記者として活やくするうちに東洋へ心ひかれるようになり、1890年に、日本の旅行記を書くために横浜へやってきました。2か月の予定でした。ところが、日本がすっかり好きになり、日本に住みつくことを決心しました。

日本人の心も、日本の景色も愛してしまったハーンは、松江中学校の英語の教師になり、日本女性の小泉節と結婚しました。そして、そのご熊本の第五高等学校の教師、「神戸クロニクル社」の記者、東京帝国大学の講師をつとめながら、日本の研究を深めていきました。小泉八雲と名のって日本へ帰化し、ついに日本人になってしまったのは、45歳のときでした。

八雲は、日本人のものの考え方や、日本の文化を心から理解しようとしました。とくに、明治の文明開化の時代に入るまえの、古い日本を深く見つめ『東の国から』『心』『霊の日本』『日本お伽噺』『怪談』など、たくさんの本を著わしました。

『怪談』は、1904年に、まずアメリカで出版され、日本ではのちに『小泉八雲全集』におさめられて、怪談の名作とたたえられるようになったのです。

日本人よりも、もっと日本を愛した八雲は、早稲田大学の教壇にも立ったのち、1904年に54歳で亡くなりました。八雲の作品は、いまも、おおくの日本人に読みつがれています。


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