オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝
(33)

明治天皇(1852ー1912)

明治天皇は、1852年に京都で生まれました。父は、孝明天皇、母は、朝廷につかえていた公卿の中山忠能の娘です。

幼年時代の天皇は、からだが弱く、泣き虫でした。でも、5歳をすぎたころから、からだをきたえ、16歳で天皇の位についたころには、すもうなら、宮中のおとながだれひとりかなわないほどに、なっていました。

王政復古によって江戸幕府がたおれ、国の政治を徳川氏の手から朝廷にとりもどした天皇は、まず、国民の考えを尊重することなどをちかった『五箇条の御誓文』を発表して、新しい政治の大方針をうちだしました。そして、1868年に江戸を東京と改めると、つぎの年には都を京都から東京へ移して、近代国家への政治にとりくみ始めました。

1871年には、大名たちが支配している藩をはい止して、かわりに府県をおき、武士中心の社会のしくみを、完全にとりこわしました。しかし、古いしくみをなくしても、朝廷につかえる政治家たちのあいだでは、むかしの藩ごとに対立がつづき、これをひとつにまとめていかなければならない天皇の苦労は、いつまでも絶えませんでした。1877年に起こった西南戦争で西郷隆盛が死んだとき、25歳の天皇は、たとえ賊軍でも西郷の死を、たいへん悲しんだということです。

新しい国を建設していくためには教育がたいせつだ、と考えた天皇は、1872年に、小学校を国民の義務教育とすることを決め、1890年には教育の基本をしめした教育勅語をだし、小・中・大学校をととのえていきました。

また、新しい政治を進めていくために、1889年に大日本帝国憲法を発表して、つぎの年には第1回の衆議院総選挙をおこない、日本で初めての帝国議会を開き、近代国家らしい立憲政治の幕を開けました。

いっぽう、日本のすべての軍隊をひきいるようになった天皇は、国の守りにも力を入れ、1894年に起こった日清戦争にも、1904年に起こった日露戦争にも大勝して、アジアの小さな島国日本の名を、世界にとどろかせました。

明治天皇は、こうして、わずか数10年で新しい日本のきそをきずきあげました。しかし、その功績は天皇だけのものではなく、天皇のもとに、近代国家の建設と戦ったおおくの政治家たちがいたことを見落としてはなりません。また、明治天皇によって絶大になった天皇の権力を軍隊が利用して、そのごの日本が軍国主義へみちびかれていったことも、忘れてはなりません。


もどる
すすむ