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(33)

御木本幸吉(1858ー1954)

真珠の養殖に成功して世界の真珠王とよばれるようになった御木本幸吉は、1858年に、志摩国(三重県)の鳥羽で生まれました。家は、屋号を「阿波幸」という、うどん屋でした。

少年時代の幸吉は、うどん屋を手伝いながら、野菜や米や卵などを売り歩いて、家のくらしを助けました。

幸吉が、人間の手で美しい真珠を作りだすことを決心したのは、32歳のときでした。30歳で真珠商人になったものの、商人たちが天然の真珠をうばいあうため、日本の真珠がしだいに少なくなっていくことに心を痛めていた幸吉は、東京帝国大学の箕作佳吉博士から貝の中で真珠ができる秘密をおそわり、胸をときめかせて養殖にとりかかったのです。

「成功まで一生かかるかもしれないが、死んでもやりぬくぞ」

幸吉は、英虞湾に養殖場を作り、たくさんのアコヤ貝に真珠の核になる粒を入れて、海中に沈めました。しかし、何度やっても失敗でした。あるときは、赤潮で海中のアコヤ貝が全滅してしまいました。でも、幸吉は、くじけませんでした。人から「真珠きちがいだ」と笑われながら、実験をくりかえしました。

1893年7月11日、幸吉と妻のうめは、海岸で貝の中を調べていました。すると、とつぜん、うめが叫びました。

「あなた、あったわ、あったわ、光ってるわ」

うめが開いた貝に、きらりと光るものがあります。形はまだ半円ですが、まちがいなく真珠です。

「よし、方法を考えれば、きっと、丸い真珠ができるぞ」

幸吉は、むちゅうになって研究をつづけました。そして、ついに1905年に、真円真珠の養殖に成功しました。死んでもやろうと決心して15年、幸吉は47歳でした。

大きな夢をかなえた幸吉は、つぎには、この日本の養殖真珠を世界に広めることにのりだしました。

「全世界の女性の首に真珠を飾らせてみせる」

養殖場をふやし、飾りものを作る加工場も建て、ニューヨーク、パリ、ロンドンなどに店を開いて、ミキモト・パールをいっせいに売りだしたのです。昭和の初めにアメリカへ渡り、発明王エジソンに真珠をおくったときには「わたしは、ダイヤモンドと真珠だけは作ることができなかった。あなたは偉大だ」とたたえられました。

1924年、66歳の幸吉は貴族院議員に当選しました。しかし、わずか1年で自分からしりぞき、1954年に96歳で亡くなるまでの長い生涯を、真珠養殖の改良にささげつくしました。


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