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(33)

長岡半太郎(1865ー1950)と
 本多光太郎(1870ー1954)

長岡半太郎と本多光太郎は、明治から昭和にかけて、日本の科学のきそをきずき、その力を世界に示した物理学者です。

半太郎は、明治時代を迎える3年まえに肥前国(長崎県)で生まれ、やがて父が明治政府の役人になると、家族とともに東京へでて17歳で東京大学(のち帝国大学から東京帝国大学へ改名)の物理学科へ入学しました。

そのころは科学の世界にあこがれる若者は少なく、卒業するとき物理学科の学生は半太郎ひとりでしたが、半太郎はそのまま大学院へ進みました。とりくんだのは地球の磁気の研究でした。

28歳のときにドイツへ渡り、3年のちに帰国すると帝国大学の教授になり、地球物理学の研究を始めました。また、本多光太郎や寺田寅彦ら、若い科学者の指導にもあたりました。このころ日本の科学の指導者は、まだ数えるほどだったのです。

半太郎は、1900年に、磁気歪という磁力の変化の現象を発表して、さらに1903年には 「まわりに環をもつ土星のようだ」 という原子のしくみを発表、日本の物理学者長岡半太郎の名を世界に広めました。そののちの半太郎は、電波や光学の研究もつづけ、科学の真理を愛し、日本の科学を育てることに力をつくしました。

本多光太郎は、半太郎よりも5年あとに愛知県の農家で生まれ、小学生のころは農業の手伝いに明け暮れましたが、やがて東京へでて、第一高等中学校から東京帝国大学へ進みました。

初めは、大学で農業を学ぶつもりでした。ところが、物理学者山川健次郎の 「すべての自然科学のきそは物理学にある」 ということばにうたれて、物理学の道をえらびました。

大学院時代に長岡半太郎の指導を受け、卒業ごも磁気歪の研究をつづけましたが、37歳のときにヨーロッパの国ぐにへ留学して、さまざまな金属をつくりだす冶金学を学びました。そして41歳で帰国ごは、東北帝国大学理科大学の教授になり、日曜も祭日も実験室にとじこもって、金属の研究にうちこみました。

1917年に強力な磁力をもつ鋼鉄のKS鋼、1933年には、さらに強力な新KS鋼が日本で発明され、世界の鉄鋼会社をおどろかせました。光太郎が、長いあいだの研究をみのらせたのです。

光太郎は、そのごも金属の研究ひとすじの道を歩みつづけ、その長い道のりのなかで、日本の科学者をたくさん育てました。

1937年の春、日本の文化の発達に偉大な功績をあげた9名に第1回の文化勲章がおくられましたが、このとき、72歳の半太郎と67歳の光太郎の胸にも、勲章が輝きました。


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