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(34)

木村栄(1870-1943)

地球は、北極と南極をむすぶ軸を中心にして、自転しています。しかし、その地軸は、永久不変のものではありません。長い歳月のあいだには、少しずつ動いています。木村栄は、この地軸のずれを正確に調べるために緯度を観測し、その観測結果の計算に新しい方法を発見した、天文学者です。

石川県金沢市で生まれた栄は、漢学の塾を開いていたおじの家へ、幼いうちに養子にだされ、少年時代はきびしく育てられました。早くから学問を習い、8歳をすぎると、すでに父のかわりに、子どもたちに漢学やそろばんを教えたということです。

19歳で上京すると、帝国大学(いまの東京大学)の星学科に入学して天文学を学び、卒業後はさらに大学院へ進んで、緯度観測や地球物理学の研究を深めていきました。

1898年、ドイツで開かれた万国測地学協会の総会で、地軸の動きを調べるための緯度観測所を、世界各地におくことが決まり、日本の岩手県水沢にも、観測所がつくられました。その所長にむかえられたのが29歳の栄でした。

所長のしごとについた栄は、若い人たちに「研究にかかったら、1日24時間じゅう、考えつづけるようでなければだめだ」と説きながら、おどろくほど熱心に、毎日、同じ星の位置の観測をつづけました。そして、その観測結果から緯度の変化を割りだして、ドイツの中央局へ報告するのです。

ところが、やがて中央局から、世界各地での観測結果のなかで、栄の報告したものはおかしいと、発表されてしまいました。もし、そうだったら、栄がはずかしいだけではなく、日本の科学の恥です。栄は、器械や観測方法や計算のしかたを調べなおしました。でも、どこにも故障もまちがいもありません。どこに原因があるのだろう……。栄は昼も夜も考えつづけました。

そんな、ある日のことです。栄は、ふと、地球の回転の変化に疑問をいだき、それまでの緯度計算の式に、もう1つ項をふやしてみることを考えつきました。そして計算しなおしてみると、水沢でだした数値と、世界各地の観測所でだした数値が一致するではありませんか。だれも気づかなかった項の発見です。

1902年に、これをまとめて発表した論文が、世界の天文学者をおどろかせたのはとうぜんです。栄は、たちまち世界の天文学者となり、その新しい項は木村項(Z項)と名づけられました。

栄は、20年ごに、中央局がドイツから水沢に移されると、その局長をつとめ、1943年に73歳で亡くなりました。緯度観測につくした人として、世界の科学史に名をとどめています。


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