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(34)

志賀潔(1870-1957)

食べものや飲みものをとおして伝染し、高い熱とともに腹痛をおこして、血のまじった下痢便をするようになる赤痢。むかしは、この赤痢にかかると治療のしかたがわからず、たくさんの人が命を失いました。志賀潔は、この赤痢菌を世界で初めて発見した細菌学者です。

潔は、明治の初めに仙台市で生まれ、少年時代は昆虫がすきで野山をかけまわりました。12歳で入学した県立宮城中学(いまの仙台一高)では、成績はとくにすぐれてはいませんでした。でも、一歩一歩、努力をしていく生徒だったということです。

15歳のとき東京へでて大学予備門(のちの第一高等学校)に学び、やがて、東京帝国大学医科大学(いまの東京大学医学部)へ進みました。そして26歳で卒業すると、伝染病研究所へ入りました。研究所長の北里柴三郎を尊敬していたからです。

潔が柴三郎のもとで研究を始めた、つぎの年、日本じゅうに赤痢がはやって、患者は9万人ちかくを数えるようになりました。死者が1万人、2万人とふえていきます。

「1日も早く赤痢菌を見つけて、死者をくいとめなければ……」

潔は、患者の大便や、死亡者の腸からとりだしたものを研究室にもちこみ、顕微鏡をのぞきつづけました。そして、長さ千分の3ミリという小さな菌を発見すると、その菌を動物に注射して、実験をくり返しました。

動物は、次つぎに病気になり、症状は赤痢患者と同じです。「まちがいない、これが腹痛や下痢をおこす赤痢菌だ」

潔の研究成果は、1897年11月に開かれた大日本私立衛生会総会で発表され、さらに翌年には、論文がドイツの細菌学会雑誌をかざって潔の名はまたたくまに世界に広まりました。また、赤痢菌は、志賀の名をとって「シゲラ」と名づけられました。潔に、ねばりづよく努力していく性格があったからこそ、この大発見をなしえたのかもしれません。

そのごの潔は、ドイツに留学して世界的な細菌学者エールリヒの教えをうけ、人体に菌に対する抵抗力をもたせるための免疫学や、アフリカで流行していた睡眠病の研究に大きな成果をあげました。そして、およそ5年の留学を終えて帰国してからは、北里研究所の創立に力をつくし、さらに、慶応義塾大学の教授などをつとめて若い医学生の指導にもあたり、1957年に86歳で世を去りました。

亡くなる13年まえには、文化勲章を受賞しています。伝染病の予防にささげた、美しい生涯でした。


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