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(34)

樋口一葉(1872-1896)

名作『たけくらべ』で知られる樋口一葉は、明治の初めに、東京で生まれました。父は身分の低い役人でした。

本名を奈津といった一葉は、幼いときから、ものおぼえのよい、本のすきな少女でした。2歳のころ、兄たちが新聞を読むのをまね、6歳のころには『南総里見八犬伝』という長い歴史物語を読んで、家ぞくをおどろかせたと伝えられています。

小学校での成績は1番でした。しかし「女は、学問よりも、家事やさいほうなどを習うほうがよい」という母の考えで、卒業まえにやめさせられてしまいました。このとき一葉は、母をうらんで、死ぬほど悲しんだということです。

14歳のとき、歌人の中島歌子が開いていた萩の舎塾で学ぶことができるようになりました。一葉をかわいそうに思った父が入れてくれたのです。萩の舎にかよってくる人は、身分の高い役人や貴族の家庭の女がおおく、小学校も満足にでていない一葉は、いつも、いやな思いにたえなければなりませんでした。しかし、勝ち気な一葉は人いちばい努力をつづけ、和歌では、塾の歌の会で最高点をとるほどになりました。

ところが、塾で学び始めて3年めに、役人をやめたのち事業に失敗してしまった父が亡くなり、17歳の一葉が、母と妹を背負って、生きていかなければならなくなりました。

「小説家になろう。なんとかして貧乏からもぬけださなくては」

貧しさにおしつぶされそうな一葉が、このように決心したのは、それからまもなくです。萩の舎塾で学んでいた年上の田辺竜子が、はなやかに小説家の道へ入っていったのを見て、一葉の心が大きく動いたのだといわれています。

一葉は、新聞記者の半井桃水をたずねて、まず小説の書きかたから教わり、早くもつぎの年から『闇桜』などの作品を発表していきました。でも、小説だけでは、とても生活できません。

21歳になった一葉は、母と妹をつれて下谷竜泉寺町の長屋へ移り、ささやかな雑貨商をいとなみながら、小説を書き始めました。また、この土地で、たくさんの貧しい人びと、悲しい人びとにふれ、人間のほんとうの心を見る目を育てていきました。

しかし、一葉が、この世に生きたのは、それからわずかに3年でした。下町の子どもたちをあたたかく、美しくえがいた『たけくらべ』のほか、暗い運命にひきずられる女たちの苦しみをつづった『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』などを書き残すと、24歳の若さで、結核におかされ、永い眠りについてしまったのです。線香花火のような、もの悲しい生涯でした。


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