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(34)

柳田国男(1875-1962)

古くから庶民のあいだに伝え受けつがれてきた、生活のすがたや、文化や、人の心などを研究する学問を民俗学といいます。柳田国男は、この学問を、日本で初めてうちたてた人です。

国男は、兵庫県神崎郡の田原村(いまの福崎町)で、医者の松岡操の6男として生まれました。姓が柳田になったのは、26歳のときに、柳田家へ養子に入ってからのことです。

子どものころの国男は、なによりも本を読むことがすきでした。また、記憶力とすぐれた感覚にめぐまれ、まわりのことを深く見つめ、深く考えながら成長しました。

12歳のときに兄をたよって上京すると、文学にしたしむようになり、やがて高等学校をへて東京帝国大学法科大学(いまの東京大学法学部)へ進んでも、さらに、25歳で大学を終えてからも、おおくの詩人や小説家との交わりをつづけました。

大学で、農業を守り育てるための農政学を学んだ国男は、卒業ご、農商務省へ入りました。そして、役人として農村をめぐり歩くうちに深く興味をいだくようになったのが、民俗学です。

地方によって、農村の文化や農民の生活に大きなちがいがあることや、各地に、めずらしい伝説がうずもれていることなどが、文学と農民を愛する国男の心をとらえてしまったのです。やがて、山深い村に伝わる、古い日本人の生活や心を聞き集めて『後狩語記』『遠野物語』などを著わし、また、雑誌『郷土研究』を創刊して、民俗学研究の道をひらいていきました。

39歳のときに貴族院書記官長という地位にまでのぼった国男は、その5年ごに、およそ20年間の役人生活をやめてしまいました。自由に、学問にうちこんでいくことを考えたからです。

「日本人の、ほんとうのすがたは、どうなんだろう……」

こんな疑問がますます深まっていく国男は、そのご、朝日新聞論説委員にむかえられたあいだも、東北地方へ足をむけては『雪国の春』を、奄美、沖縄を旅しては『海南小記』を著わし、各地に残る民俗の比較研究をつづけていきました。

1932年には朝日新聞もしりぞき、3年ごには、全国の民俗学研究者によびかけて『民間伝承の会』をつくり、雑誌『民間伝承』を発行して、日本じゅうのむかし話を集めました。国男は、きっと、日本人の心のふるさとを、さがし求めたのでしょう。

戦後も、民俗学研究所を設立して、やはりこの道ひとすじに生きた国男は、76歳のとき文化勲章を受け、1962年に87歳の長い生涯を終えました。晩年には、これからの日本の子どものことも考えつづけた、心のやさしい学者でした。


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