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(35)

北原白秋(1885-1942)

福岡県の南部に、柳川という、むかしの城下町があります。いくすじもめぐる水路に柳が影をうつす、美しい町です。

詩人北原白秋は、1885年に、その柳川で生まれました。家は、古い土蔵の倉が並んだ大きな造り酒屋でした。

白秋は、少年時代から文学がすきでした。小学生のころから『竹取物語』や『平家物語』などを読みふけり、中学校へ進むと、詩集を愛するようになりました。16歳のときには、友人と詩や短歌の雑誌を作りました。隆吉というほんとうの名まえのかわりに、白秋という名をつけたのは、このころです。

やがて、投稿した短歌が新聞や雑誌にのるようになり、白秋は、文学の道へ進むことを、はっきり心に決めました。

ところが、白秋に家をつがせることを考えていた父は反対でした。でも、どんなに反対されても決心は変わりませんでした。

中学校の卒業が目の前にせまった、ある日、白秋は、ついに学校を退学して東京へ旅立ちました。このとき、母と弟は、父にかくれて、荷づくりをてつだってくれました。

19歳で東京の空の下に立った白秋は、早稲田大学へ入りました。しかし、およそ1年ごには、退学してしまいました。大学の雑誌の懸賞で1位になった詩が、そのころの大歌人与謝野鉄幹にみとめられ、文芸雑誌『明星』を発行する新詩社にむかえられたのです。そして『明星』に詩や短歌を発表するようになると、またたくまに、みずみずしさをたたえた詩人として、広く注目されるようになりました。

そのごの白秋は、高村光太郎、谷崎潤一郎、石川啄木らといっしょに、美の世界を深く見つめる新しい文学運動をつづけながら、『邪宗門』『思ひ出』『水墨集』などの詩集を、次つぎに発表していきました。

また1918年に、鈴木三重吉によって児童文芸雑誌『赤い鳥』の発行が始まると、新しい詩人の指導にあたりながら、自分も童謡を書くようになりました。生涯のうちに書いた童謡は『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『雨』『ちんちん千鳥』『からたちの花』など、800編をこえています。これほどたくさんの童謡を作れたのは、けがれのない童心をたいせつにする心が、白秋のなかに、いつもあったからです。

詩と童謡を愛した白秋は、31文字でつづる短歌も深く愛しつづけ『桐の花』『雀の卵』などのすぐれた歌集も残して、日本が太平洋戦争を始めた次の年に、57歳で亡くなりました。美しいことばを自由にあやつった詩人でした。


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