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芥川龍之介(1892-1927)

『蜘蛛の糸』『杜子春』などの童話や、『地獄変』『河童』『奉教人の死』などすぐれた小説を書いた芥川龍之介が、作家として活動したのは、大正から昭和のはじめにかけてわずか10年あまりにすぎません。しかし、今もなおその作品は、おおくの人に愛読されています。

龍之介は1892年(明治25年)3月1日東京市京橋区の新原家に生まれました。それから7か月ほどして母のフクが発狂してしまい、龍之介は母の実家である芥川家に引きとられて育てられました。母のフクは、龍之介が10歳のときに亡くなりましたが、母が精神病であったという事実は、それからずっと龍之介の心に影をおとし、自分も発狂するのではないかという恐怖をあたえることになりました。龍之介は神経質でおびえやすく、ひよわな性質の子どもでした。しかし、本の好きな少年だった龍之介は、小学生のときから同級生と回覧雑誌を作って文をのせ、表紙やカットまでも自分でかいたりしました。

作家として認められるようになったのは、1916年2月、東京帝国大学に在学中、友人たちと出した雑誌にのせた『鼻』が、夏目漱石にたいへんほめられたのがきっかけです。それから龍之介の次つぎと発表する小説は、今までにない機知にとんだ独創的な作品として話題をよぶことになりました。作品のおおくはごく短いものですが、人びとをひきつけるのは、せん細な神経が通い、みがきあげられた表現と理知的な構成によるばかりでなく、作者の人生を見つめる眼にやさしさのあるせいでしょう。人間のおろかしさ、おかしさを描いても、それを冷たくつきはなすのではなく、どこかにそれを悲しむ作者のあたたかい心が感じられます。

しかし、龍之介は若くしてはなやかな名声につつまれましたが、孤独と不安な気持ちからついにぬけだすことはできませんでした。あまりに感じやすく傷つきやすい心をもっていたからでしょう。1927年(昭和2年)7月24日、龍之介は自宅で睡眠薬自殺をとげました。その前から体力はおとろえ、神経衰弱もひどくなっていました。そのうえ、親せきの不幸などもかさなり、たえ切れなくなったためです。まだ35歳の若さでした。

龍之介の作品は、アメリカ、フランス、ロシアなどでもほん訳され、おおくの人びとに読まれています。日本映画として初めてベネチア国際映画祭でグランプリ(大賞)をとった黒沢明監督の『羅生門』も龍之介の『藪の中』を原作としています。また、その名を記念してできた芥川賞は文学賞として有名です。


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