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(36)

吉川英治(1892-1962)

『鳴門秘帖』や『宮本武蔵』は、今も若い人から老人まで、はば広い人気があります。その作者吉川英治は、1892年神奈川県に生まれました。父は会社を経営していたので、小さいときには家も豊かでしたが、英治が11歳のとき、父は事業に失敗しました。ある日、学校から帰ってきた英治に、父が言いました。

「もうこんな大きな家に住めなくなった。おまえは長男だから、1ばん先にはたらきにゆけ、いいな」

「はい」と答えたものの、英治は悲しくて大声で泣きだしてしまいました。

それからの英治は、家の生活を助けるためにいろいろな職業につきました。印章店の小僧、少年活版工、税務監督局の給仕、雑貨商の店員、横浜ドックの工員などです。それでも家の生活は苦しく、何も食べない日さえありました。ドックの工員もほんとうは20歳以上というきまりでしたが、18歳の英治は20歳とうそを言って入ったのです。ドックの仕事はつらく危険なものでした。それでも、気のいい親切な仲間のあいだで英治はがんばりました。

しかし、船腹にペンキをぬっていたある日、乗っていた板もろとも12メートルの高さから、ドックの底につい落してしまいました。気がついたのは病院のベッドの上です。

幸い命はとりとめ、退院の日もあと数日となりました。

「英ちゃん、長いあいだよくはたらいてくれたね。もう、おまえは、自分の道を進まなければ……」

母は英治が東京へ出たいと思っているの知っていたのです。

19歳で上京した英治は、細工師の仕事を学びながら、小説を書くようになりました。そして講談社のけん賞小説に3編が同時に当選するというような才能を示しました。それから次つぎと書いた小説によって、英治は大衆小説の花形作家として認められるようになりました。

『宮本武蔵』『新書太閤記』『新・平家物語』が吉川英治の代表作です。少年少女のための小説としては、『神州天馬侠』『天平童子』などがあります。とくに、人生のさまざまな苦難をきりひらき、ひとすじに剣のみちにはげむ青年武蔵の姿をえがいた『宮本武蔵』はくりかえし映画や劇にもなっています。それは、宮本武蔵が遠い歴史上の人物であっても、現代に生きる人びとの心につよい共感をあたえるからにほかなりません。

吉川英治は68歳のとき、文化勲章をうけ、その2年ごにこの世を去りました。


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