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(36)

松下幸之助(1894-1989)

「ナショナル」のマークで知られている松下電器産業は、今や世界の大企業のひとつです。この大会社をつくりあげたのが、松下幸之助で、1894年(明治27年)和歌山県に生まれました。

父は事業に失敗し、和歌山市で下駄屋をはじめましたが、うまくいきませんでした。そのため、幸之助は小学校を4年でやめ、大阪の火鉢屋ではたらき、つづいて自転車屋につとめました。自転車がまだ、めずらしい乗物だった時代です。幸之助はそこで5年間はたらきましたが、大阪に市電の走るようになったのをみて「これからは電気の時代だ」と考えました。そこで大阪電燈の配線見習工になり、夜は、学校に通って電気の技術を身につけました。

1917年、電燈会社をやめた幸之助は、4人だけで町工場を作りました。はじめは失敗もありましたが、幸之助の考案した「二燈用差し込みプラグ」(ふたまたにしたソケット)は好評で、よく売れるようになりました。そして、この小さな町工場をさらに発展させたのは、新しい自転車用乾電池ランプの発売です。

それまでの乾電池を使った自転車用のランプは、数時間しかもたないので、ローソク・ランプの方がおおく使われていました。幸之助は、電池ランプを10時間以上ももつものにしようと考えました。わずか3か月の間に100個ちかい試作品を作るほど工夫を重ね、新しい豆球と改良した電池をくみあわせることによって、30時間から50時間ももつものを作り上げました。幸之助はこの成功をよろこび、新しいランプの生産を開始しました。

ところが「電池ランプなんか実用にならないよ」とどこでも信用してくれないのです。幸之助は弱りました。そこでこう言って小売店においてもらうことにしました。

「かならず30時間以上もちますから、見ていてください。そして、これは使えると思ったら、売ってください」

小売店に2、3個のランプをあずけ、そのひとつだけは点燈しておいたのです。やがて「こんなランプははじめてだ。30時間以上もったよ」とぞくぞく注文がくるようになりました。

つづいて幸之助は、アイロン、ラジオ、乾電池などの製造をはじめ、今日の松下電器に発展させていったのです。「ナショナル」(国民の、全国の)という商標も、国民に必要なものを作ろうという幸之助の願いをあらわしています。ほかよりすぐれた、家庭で安心して使えるものをいつもめざしました。

幸之助は、高度成長により、世界のトップクラスをほこるようになった、日本の代表的経営者のひとりにかぞえられています。


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