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(36)

宮城道雄(1894−1956)

宮城道雄の作曲した『春の海』をきくと、おだやかな春の日ざしをあびた静かな海の風景が、眼の前にうかんでくるようです。尺八と琴という日本の伝統的な楽器をつかいながら、この曲はこれまでの邦楽(日本の音楽)とはまるでちがった新しい曲になっています。

道雄は盲目でした。1894年4月、神戸市三宮に生まれました。小さいときからわるかった眼が、8歳のころにはまったく見えなくなってしまいました。父は、盲目でも生きていくことができるようにと、道雄を中島検校という琴の先生に弟子いりさせました。中島検校の教え方はきびしいものでした。「千べんびき」といって、冬の寒い日でもまどをあけはなしたまま、同じ曲を1週間つづけてひくのです。寒さで指がかじかみ、血のふきでることもありました。しかし、琴をひく手を少しでもやすめれば、先生からひどくしかられます。道雄は歯をくいしばって練習にはげみました。

11歳のとき、朝鮮(今の韓国)で行商をしていた父がけがをして入院したため、お金を送ってこなくなりました。祖母と暮らしていた道雄は、先生のかわりにほかの弟子たちに琴を教えてやっと生活を立てていきました。13歳の時には、父のいる朝鮮の仁川にわたりましたが、ここでも道雄は琴と尺八を教えて、一家をやしなわなければなりませんでした。

こうした生活のなかでも、音楽に打ちこんだ道雄は作曲をはじめ、15歳のとき、『水の変態』を作りました。これは、雲、雨、雪とさまざまにすがたを変えてゆく水のふしぎを曲にしたもので、今も名曲として親しまれています。また、西洋音楽のレコードをたくさんきいて「邦楽にも西洋音楽のよさをとり入れて、新しい音楽を作りだそう」と考えました。

1917年、道雄は東京に出ました。そして『落葉の踊』『秋の調』『さくら変奏曲』などを作曲するとともに、新しい型の琴を作って、邦楽に新しい生命をふきこみました。

1933年、フランスの女性バイオリニスト、ルネ・シュメーが日本にきました。シュメーは『春の海』がとても気に入って、尺八の部分をバイオリンで演奏するように編曲して、道雄の琴と合奏しました。演奏会は大成功でした。シュメーは、外国でもこの曲を演奏し、レコードにもなりました。そして『春の海』とともに宮城道雄の名は世界に知られることになりました。

1956年6月25日、宮城道雄は愛知県の刈谷駅近くで急行列車から誤って転落して亡くなりました。


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