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(36)

川端康成(1899−1972)

川端康成は、1899年(明治32年)6月14日、大阪市に生まれました。父は医師でしたが、康成が2歳のときに亡くなり、つづいて母も3歳のときに死に、幼くして孤児となりました。それからは祖父とふたりだけの生活でしたが、その祖父も、康成が15歳のとき、亡くなりました。人の世のむなしさ、はかなさは、するどい感受性をもった少年の心に、深くしみとおりました。

第一高等学校、東京帝国大学(東京大学)へと進み、国文科に学んだ康成は、作家をこころざします。22歳のとき『招魂祭一景』を書き、菊池寛に認められ、新進作家としての第一歩をふみ出しました。

新しい感覚にあふれた初期の作品のうちでも、とくに人びとに親しまれているのは『伊豆の踊子』です。

「20歳の私は自分の性質が孤児根性でゆがんでいるときびしい反省を重ね、その息苦しいゆううつにたえきれないんで……」

伊豆の旅に出てきた高校生は、天城峠で旅芸人の一行と会います。そのなかのかれんな踊り子とのあわい心の交流。

「いい人ね」「それはそう、いい人らしい」「ほんとにいい人ね。いい人はいい人ね」

そう踊り子たちに言われるだけで、高校生の心は青い空に解き放たれるようなうれしさを感ずるのでした。でも、ふたりは下田の港に来たところで別れねばなりません。短編ですが、この小説は人びとに愛されて、くりかえし映画化もされています。

康成の名作といわれるものには『浅草紅団』『雪国』『千羽鶴』『古都』『山の音』など数おおくの作品があります。とくにはなばなしい物語があるわけではありませんが、日本人の細やかな感情、あふれる心の動きを、つめたくすんだ眼でみつめて、静かな美しい世界に人びとを引きこみます。

1968年、ノーベル文学賞が康成に贈られました。文学賞は、日本人としては初めて、アジア人としては2番めの受賞です。『雪国』や『古都』は、英語やフランス語にほん訳され、ヨーロッパでも評判をよびました。ストックホルムの授賞式に羽織はかまで出席した康成がおこなった講演の題は「美しい日本の私」です。古い昔から受けつがれてきた日本の美について、語ったのでした。

1972年4月16日、康成は、神奈川県逗子市の仕事部屋でガス自殺をとげて、人びとをおどろかせました。遺書もなく、その直接の原因については知ることはできませんでした。栄光のなかにあっても、孤独とむなしさを感じつづけていたのでしょうか。


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