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(36)

林芙美子(1903−1951)

1903年(明治36年)林芙美子は山口県下関市に生まれました。父は雑貨を売ってあるく行商人でした。やがて、父と別れることになった母キクは、6歳の芙美子をつれて行商の旅に出ました。この日から、芙美子の家は日によってとまるところの変わる木賃宿になりました。芙美子は、木賃宿から小学校にも通いましたが、10数回も転校しなければなりませんでした。

芙美子も、母の仕事を助けて、行商に歩いたこともあります。木賃宿にとまっている社会の底辺に生きる人たちは、言葉づかいこそ乱暴でも、心は温かく、芙美子をいたわってくれました。

芙美子には新しい父もでき、11歳のとき、一家は尾道に移り住みます。間借りながらも家庭ができ、小学校へも落着いて通うことができるようになりました。海ぞいの美しい町は、芙美子の第2のふるさとになりました。

工場でアルバイトをしながら、芙美子は高等女学校に通いました。本も読みたい、勉強もしたい、仕事もしなければならない、1日が48時間あればいい、と思うような生活でした。そして、貧しい家の少女にとって、学校は楽しいところではありませんでした。でも、文学や詩について語ってくれる若い先生がいることと、図書室があることが芙美子にとってただひとつのなぐさめでした。

芙美子は18歳のとき、東京へ出ました。ここでも苦しい生活の連続です。工場、カフェ(喫茶店)、産院、毛糸屋、新聞社などいろいろなところにつとめました。はたらいてもはたらいても、きざんだキャベツのおかずが1番のごちそうというような生活でした。芙美子は、そうした生活の悲しみや希望をかざらずに率直に『放浪記』として書きつづけました。それまで自分の書いた原稿を持って、新聞社、雑誌社を歩きましたが、ほとんど売れませんでした。ある日、疲れて帰ってきた芙美子は、玄関に1通の手紙が置いてあるのを見ました。

「めったに速達を受けるようなことのないわたしは、裏を返して見て急に狂人のように手がふるえてきました」

芙美子はへなへなとそこに、しゃがみこんでしまいました。『放浪記』を出版するという知らせでした。『放浪記』は暗い不景気の時代のなかに生きていた人びとに強い共感をもって迎えられ、たちまちベストセラーとなりました。

『うず潮』『晩菊』『浮雲』など、名もない雑草のような庶民の生き方をえがいた作品が、芙美子の代表作です。芙美子は、1951年、波らんにとんだ生涯を47歳の若さで閉じました。


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