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(36)

朝永振一郎(1906−1979)

1965年、朝永振一郎博士は、ノーベル物理学賞を受賞しました。これは、量子力学を発展させた功績に対して贈られたもので、湯川秀樹博士についで、日本人としてはふたりめの物理学賞です。

朝永振一郎は、1906年(明治39年)哲学者朝永三十郎の長男として、東京に生まれました。父が京都大学の教授に就任したとき、振一郎も京都に移り、ここの小・中学校に通いました。中学5年生のとき「相対性理論」で有名なアインシュタインが来日しました。新聞がアインシュタインの業績についていろいろ書きたてたので、振一郎は興味をもち、物理学の本を読んでみました。そして、物理学のふしぎな世界に眼をみはりました。

「こうした世界のことを研究できたら、すばらしいだろうな」

振一郎は、京都帝国大学理学部物理学科に進み、専攻科目に量子力学を選びました。量子力学とは、かんたんに言えば、原子の構造や行動を解くために作られた力学で、これまでの力学では説明できなかった新しい事実を、合理的に説明することができる理論です。当時、もっとも新しい理論だったので、振一郎はこれと取り組んでみようと思ったのでした。しかし、できたばかりの理論ですから、教科書などありません。基礎の論文を読まなくてはなりませんが、その論文を理解するためには、他のたくさんの論文を読まなくてはならない、というように、振一郎は無限の世界の入り口に立っているような気がしました。

このとき、同じ高校、大学と進んだ同級生に湯川秀樹がいました。このことは、振一郎にとって、大きな力でもあり刺激ともなりました。ふたりはきそって研究にはげみました。

大学卒業後、3年ほどして、振一郎は、東京の理化学研究所にある仁科研究室に入りました。仁科芳雄博士は、海外にあって量子力学の研究をつづけて帰って来た、世界的に名を知られた学者です。仁科研究室は、先輩も後輩もない、自由で活発な空気にあふれていました。誰にも気がねのない討論で研究が進められていきます。振一郎の研究もはかどりました。

振一郎はそのごドイツに留学し、帰国ご東京文理科大学の教授となり「超多時間理論」をまとめました。これを発展させた理論が、ノーベル賞の対象となったのです。

朝永振一郎は、東京教育大学学長、日本学術会議会長もつとめ、52年に文化勲章も受賞しましたが、1979年7月、がんに倒れました。73歳でした。


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