「ダダダダーン! ダダダダーン!」力強いせんりつが、からだの内臓までゆさぶる交響曲『運命』。この永遠の名曲を残したルートウィヒ・バン・ベートーベンは1770年、ドイツの都市ボンで生まれました。いまから、およそ200年まえです。
父は、宮廷合唱団の歌手でした。音楽家ではありましたが、たいへんな酒のみで、そのため、貧乏な家のなかには、いつもあらそいがたえませんでした。
ベートーベンは、4歳のころからピアノを習いはじめました。先生は父です。短気な父の教えかたはたいへんきびしく、未来の大音楽家ベートーベンは、ピアノをたたく指になみだを落とさない日はありませんでした。
「この子を、モーツァルトのような天才的音楽家に育てよう。そうすれば家の暮らしも楽になるだろう」
そのころ、モーツァルトは、まだ18歳の青年でした。しかし、すでにすぐれたピアニストとして、各地で演奏会を開いていました。ベートーベンの父は、わが子を早くモーツァルトのように育てて、演奏料をかせごうと考えたのです。
おさないベートーベンは、近所の子と野や川をかけまわるひまもありません。練習が終わると、母のあたたかい胸にとびこむことだけが、なぐさめでした。
ベートーベンは、8歳のとき、はじめてピアノ演奏会を開きました。このとき父は、ポスターのわが子の年齢を6歳と書きました。年が少ないほうが天才らしくみえる、と思ったからです。
やがて、宮廷オルガン奏者から正式に音楽を学びはじめたベートーベンは、12歳のとき3つのピアノ曲を作って宮廷でほめられ、13歳で、宮廷内の教会のオルガン奏者になりました。よその家へ下働きに出ているかわいそうな母を助けるために、ベートーベンは、音楽への夢をふくらませるいっぽうで、収入を得ることも考えなければならなかったのです。
17歳のとき、ベートーベンに、すばらしい幸運がおとずれました。宮廷のお金で、ウィーンへ行って、モーツァルトに音楽を教えてもらえることになったのです。
モーツァルトのまえではじめてピアノにむかったベートーベンは、心にうかんだまま指先をおどらせて美しい即興曲をひきました。曲が終わると、モーツァルトは目を輝かせながら、そばにいた人びとにそっといいました。
「あの少年に注目したまえ。いつかは世間の人をおどろかす音楽家になるだろうから」
ベートーベンは、モーツァルトに絶賛されました。

ところが、モーツァルトのもとで勉強できたのは、わずか2週間でした。父からの手紙で母の病気を知ると、ベートーベンは、神に母のことを祈りながら、ボンにとんで帰ったのです。しかし、苦労のはてにからだが弱っていた母は、まもなく帰らない人になってしまいました。ベートーベンは、なみだがかれるまで泣きました。