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シーザー 1/7

ローマの共和政ゆらぐ

 紀元前1世紀といえば、いまから2000年以上もむかしのことです。そのころ、ローマは共和政がしかれ、王様はいませんでした。

 共和政というのは、国民の代表者たちが集まって政治を行なうしくみです。

 死ぬまで議員でいられる貴族派と、選挙で平民のなかから選ばれた平民派があり、ローマは、いつも権力のうばいあいで争っていました。

 ジュリアス・シーザーが、選挙に当選し、平民派の若い統領としてその名が知られるようになったのは、まだシーザーが20代のころです。

 シーザーは、アレクサンドロス大王にあこがれていました。3大陸にまたがる大帝国をたてた古代ギリシアの王です。つぎつぎと勝ち戦をかさねていく大王のはなしは、どんなに、シーザーの胸をおどらせたことでしょう。

 32歳のある日、シーザーは、初めてアレクサンドロス大王の銅像をまぢかに見て、
 
 「大王は、わたしと同じ年には、もうすでに世界を征服していた。わたしは、まだ何も世にほこるような仕事をしていない」

 といって、なげいたということです。

 その当時、ローマでいちばん勢力のあった軍人は、ポンペイウスでした。

 地中海の東側の国ぐにを征服してからは、ポンペイウスの名は高まるいっぽうです。なかまの貴族派の人びとはこれをあまりこころよく思わず、ポンペイウスにつめたくあたりました。

 そこで、腹をたてたポンペイウスは、平民派にくらがえすると、若いシーザーと手を結びました。

 ふたりは、大金持ちのクラッススをなかまにひき入れ、貴族派にたちむかうために、スクラムを組んだわけです。

 3人の力は、しだいに貴族派をおさえつけ、ローマの政治を動かす中心となりました。

 これを「ローマの三頭政治」とよんでいます。


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