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ディズニー 1/5

父をたすけて新聞配達

 ディズニーは、まんが映画の王さまです。『白雪姫』『バンビ』『メリー・ポピンズ』などの美しい映画は、何十年もまえから、子どもから大人まで、世界じゅうの人びとに親しまれてきました。しかし、名作を生みだすまでのディズニーの少年時代や青年時代は、けっして、まんがのように楽しいものではありませんでした。
 
 ウォルト・ディズニーは、1901年に、アメリカのシカゴで生まれました。3人の兄とひとりの妹との、5人兄弟でした。

 ディズニーが4歳のとき、家族はミズーリ州のマーセリンへ移り、父はそれまでの建築の仕事をやめて、農業を始めました。ところが、父が畑の仕事に慣れないうえに、天候の悪い年ばかりつづいたので、作物の収穫はあきらめなければなりませんでした。しだいに生活が苦しくなり、飼っている牛やブタまで売ってしまいました。

 「このままだと、うちじゅう、うえ死にしてしまう」

 父は、思いきって農場を売りはらい、家族は、同じ州のカンザスという町へでました。父は新しく新聞の販売店の仕事を始めました。

 「父さんはがんばっている。よし、ぼくも手伝おう」

 11歳になっていたディズニーも、店にやとわれた少年たちといっしょに、毎朝3時に起きて新聞配達を始めました。強い雨の日は、コートを着ていても、からだがぐっしょりぬれました。雪の日は、足をすべらせて、なんどもころびました。でも、それから5年間、暗い朝の道を、重い新聞をかかえて走りつづけました。

 「絵の勉強をして、まんが家になろう」

 新聞のまんがを見ているうち、ディズニーは、いつのまにか、そんなことを心に決めていました。そして、新聞配達だけではなく、学校の昼休みには、校内の売店ではたらきました。夏休みには汽車に乗りこんで、食べものの車内販売もしました。

 「子どもは、お金をもつ必要はない」

 げんかくな父は、新聞配達をしても、お金をくれません。だからスケッチブックや絵の具を買うために、少しでもあいた時間をみつけては、別な仕事でお金をつくるよりしかたがなかったのです。


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