「天才とは、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきです」
生まれつき頭のすぐれた人でも、努力に努力をかさねてこそ初めて、ほんとうの天才といわれるような人間になれるのだ……という言葉を残した世界の発明王トマス・アルバ・エジソンは、1847年にアメリカ北部のミランという町で生まれました。
父サムエルは、屋根板を作る木工所の経営者です。母ナンシーは、小学校の先生をしたこともある、教養の高いやさしい人でした。
7番めの子として生まれたエジソンは、幼いころから、好奇心のひといちばい強い子どもでした。
「どうして、こうなるの?」「これは、なぜなの?」
わからないことがあると、だれにでも質問します。その熱心なことといったら、エジソンの顔を見た大人たちが、逃げだしてしまうほどでした。
ある日のこと、かじやの職人に「火はどうして燃えるの?」と聞きました。しかし職人は「燃えるから火なんだよ」と答えただけでした。そこでエジソンは、家に帰って、物置き小屋のわらに火をつけてみました。火が燃えるところを確かめてやろうと思ったのです。火はどんどん燃えひろがり、とうとう小屋を焼いてしまいました。
ガチョウが卵をあたためているのをまねして、鳥小屋で卵をだいて、いっしょうけんめいに、ひなにかえそうとしたこともあります。何度実験に失敗しても、ふしぎだと思うと、やっぱり確かめずにはいられませんでした。
1854年、一家はポート・ヒューロンに移り、エジソンはこの町で小学校に入学しました。
学校に通うようになっても、ふしぎがりやの性格は少しも変わりません。
「1たす1はどうして2になるのですか」「風はどうしたら見えますか」「リンゴはなぜ赤いのですか」「ABCはなぜあるのですか」
エジソンの質問ぜめにあった先生は、かんかんにおこってしまいました。
「なぜ、そんなあたりまえのことを聞くのだ。おまえの頭はくさっている」
先生には、エジソンの性格がつかめなかったようです。
エジソンは、わずか3か月で学校をやめ、家で、母のナンシーから勉強を教わることになりました。
質問ずきで実験ずきな息子の長所を伸ばそうと考えたナンシーは、エジソンに国語や算数を教えただけでなく、歴史や文学をたいせつにする、広い心を養わせました。
「人間は、人類のために努力して生きなければならない」
このすばらしい母の教えを、エジソンはしっかりと身につけていきました。