道長は、平安時代の中ごろに、藤原兼家の五男として生まれました。兼家は、摂政の位まで出世した貴族です。
5人兄弟の1番下に生まれた道長は、天皇にほめられるほどの勇気はあっても、高い位への出世の道はとざされていました。藤原氏のあとをつぐのは長男と決められ、出世も年の順だったからです。
藤原氏の威光で、25歳のときに権大納言の位まであがった道長は、もうこれで、すっかり満足していました。
ところが、それから数年のうちに、自分もおどろくほどの出世をしてしまいました。運のいいぐうぜんがかさなって、右大臣、左大臣にまでのぼったのです。
幸運のきっかけは、父の兼家が亡くなったことから始まりました。大極殿で1番に逃げた道隆が、父のあとをついで摂政の位につきました。しかし、道隆は、いつも大酒におぼれ、ひょうばんがよくありませんでした。
摂政として、幼い天皇にかわって政治をおこなってきた道隆は、やがて、天皇の成人にともなって、天皇の政治を助ける関白になりました。でも、大酒がもとで病気になり、じっさいの仕事を息子の伊周にまかせているうちに、都の周辺に広がったえき病で死んでしまいました。
道隆の死ご、天皇から新しく関白を命じられたのは、大極殿で2番めに逃げだした道兼でした。伊周が関白になるのだろうと思っていた道兼は、よろこびました。
しかし、道兼のよろこびは、長くつづきませんでした。関白の位についた7日ごに、やはり、えき病で死んでしまったのです。道兼ばかりではありません。朝廷の位の高い貴族たちも、次つぎに亡くなり、さいわいえき病にかからなかった道長が、いつのまにか、貴族のなかでもっとも力のあるひとりになっていました。
「わたしが関白になれるかもしれない」
権大納言で満足していたはずの道長の心に、権力者への野心がもえはじめたのは、このときからです。