1564年の2月12日、イタリアのちいさな町ピサに、ひとりの男の子が生まれました。父親のビンチェンチオ・ガリレイは、初めてのわが子を、ガリレオと名づけました。ビンチェンチオは、すぐれた音楽家でした。音楽に関する本もいくつか書いていましたが、それだけではとても生活してはいけません。そのため、服地を売る商売をしていました。
ガリレオにつづいて、妹や弟が生まれると、生活はいっそう苦しくなるばかりです。商売が思うようにいかないので、母のぐちはたえません。両親のいいあらそいが始まると、ガリレオは、だまっておもてへでて行くくせがついてしまいました。
父は商売がうまくありませんでした。
ひまをみつけては、リュート(ギターのような楽器)をひいています。父のかなでるリュートの、どこか悲しげな、その音色が、ガリレオはすきでした。
医者になるように父にすすめられて、ピサ大学に入学したガリレオは、はじめのうちは、まじめに勉強しました。しかし、そのうち、だんだん医学がいやになってきました。
神のみ心に反するからといって、人間の解剖も禁止されています。実験など、なにひとつしないで、アリストテレスの本を暗記するだけの医学の勉強に、ガリレオは、あきあきしていたのです。
そのころの学者たちは、アリストテレスをまるで神さまのように尊敬していました。ギリシアで2000年もまえにうちたてられた学説なのに、疑いをもつものなど、だれひとりとしていなかったのです。また、キリスト教が、この学説を、神学の中にとりいれていましたので、アリストテレスを否定するものは、聖書をけがすものとしてひなんされました。
ガリレオは、アリストテレスよりも、アルキメデスに強くひかれていました。
金の王冠に、銀のまぜものが入っていることを、水の中に王冠をしずめる実験で、みごとにみぬき、「アルキメデスの原理」を発見した人です。観察と実験をもとにして、事実をたしかめていくアルキメデスの研究のしかたが、若いガリレオの心をとらえたのです。