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石川啄木

表紙
石川啄木(1886-1912)
貧困と病気に苦しみながら、真の文学を探しつづけ、短い生涯を燃焼させた永遠の歌人

「石川啄木」読書の手びき

 啄木の日記は、1902年(明治35年)10月、17歳ではじめて上京するところからはじまり、1921年4月13日、27歳で病死する直前まで、およそ10年間にわたって書かれています。啄木は死を自覚したとき、妻の節子に「この日記は全部やいてほしい」と言いのこしました。1年後に節子も胸をおかされて亡くなりますが、夫が、命をすりへらしつつ、一字一字書き記していった日記を焼却するにしのびず、函館の図書館長のもとに預けたのでした。夫への信頼と愛情が『啄木日記』を救ったといえるでしょう。貧乏と病気は、啄木の短い生涯にまとわりつき、節子という至上の伴侶を得ていながら、くつろいだ家庭的な時間をいっときとして味わうことができませんでした。夭折の芸術家は若くして老成するといわれますが、啄木も例外ではなく、現代の20代の青年とはくらべもつかないほどおとなびていました。北海道での苦難時代を経てからというもの、社会や政治の矛盾に目を向けるようになり、社会主義思想に傾いていきます。1910年に起きた、幸徳秋水らが逮捕された「大逆事件」に、異常なほどの関心を示し、その経過をたんねんに調べて、ノートしているようすも日記に残されています。啄木は、それまでの短歌の伝統を破って、いっさいの飾りをとりはらい、人間の生きざまを直接うたいました。粉飾のない真摯な姿勢は、短歌のみならず、啄木の小説・評論・日記に貫かれており、そのためにこそ、若き詩人は苦しまねばならなかったのです。

文:浜 祥子
絵:鮎川 万
編集プロデュース:酒井義夫

 
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