鉄のくさりにつながれ、むちで打たれ、どれいとして、まるで牛や馬のように売り買いされた黒人。
この黒人どれいの自由のために力をつくしたエブラハム・リンカーンは、1809年に、アメリカ合衆国東部のケンタッキー州で生まれました。アメリカ合衆国という国が誕生してから、わずか33年ごのことでした。まだそのころは、アメリカ大陸にヨーロッパの国ぐにから渡ってきた白人の開拓者と、大陸にむかしから住んでいたインディアンとのあらそいが、各地でつづいていました。
リンカーンの父も、インディアンに殺された開拓者の息子でした。しかし、この父には、大地にかじりついてでも自然のきびしさとたたかおうという開拓者だましいが、ありませんでした。どこかによさそうな土地が見つかると、自分の土地をさっさとすてて、家族を馬車に乗せて引っ越してしまうような人でした。そのため、家庭はいつも貧しく、未来の大統領リンカーンが生まれた家は、部屋がひとつの小さな丸太小屋でした。
リンカーンは、野や山をかけまわりながらたくましく育ちました。そして、わずか6歳のときには、たきぎ集めも、水くみも、たねまきも、それに馬のせわまでできるようになっていました。
しかし、ABCが書けるようになったのは、やっと7歳のときでした。
「なにも学校などに行くことはない。はたらくことさえ知っていれば、それでよいのだ」
父はこういって、学校に通うことに、反対しました。でも母は、わずかな時間をみつけて、リンカーンと姉のふたりを、時どき学校に行かせてくれました。
学校といっても、教室がひとつだけで、机もない丸太小屋です。でも、文字をおぼえられることや、友だちとあそべることは、リンカーンには、それまでに1度も経験したことのない、すばらしいことでした。
リンカーンは、学校で学んだことは、ひとつのこらず母に話して聞かせました。
ところが、それから2年もたたないうちに、やさしかった母は、たいへん高い熱のでる伝染病にかかって、亡くなってしまいました。
1度も医者にみせてやれなかった母が、かわいそうでなりませんでした。リンカーンは、家族のことを少しも考えない勝手な父を、ひそかにうらみました。