毛沢東は、日清戦争が起こるまえの年の1893年に、中国大陸南部の湖南省湘潭県韶山村で生まれました。
家は、わりあいに豊かな農家でしたが、それでも毛沢東は6歳のころから、どろにまみれてはたらきました。また、8歳のときから村の塾に行き始めて字をおぼえると、家の帳面つけや、父にかわって手紙書きなどもてつだいました。
父は、親の権力をふりまわし、子どもがいうことをきかなければ、よく、なぐりつけました。ところが毛沢東は、だまってばかりはいませんでした。父にさからって家をとびだし、池のふちまで追ってきた父に「近よるととびこむぞ」といって、父になぐらないことを約束させたことも、あったということです。
毛沢東は、心のやさしい母がすきでした。父にかくれて、貧しい人にこっそり米をあたえている母を見ると、まるで自分がよいことをしたように、うれしくてしかたがありませんでした。
そしてしだいに、毛沢東の心のなかに、貧しい農民のことを考える気持ちがめばえていきました。
「農業をするのに、高い学問などいらない」
父の考えで、村の塾は13歳でやめさせられました。でも、塾にかよっていたころから『西遊記』や『水滸伝』などを読んで本の世界のすばらしさを知っていた毛沢東は、昼の畑仕事が終わると、夜は、あかりが父に見つからないように気をつけながら、読書をつづけました。なかでも、外国の進んだところを紹介し、これからの中国の進みかたについて書いた本に、心をひかれ、祖国の未来を、ひそかに空想するようになりました。
日清戦争に負けて10数年がすぎた、このころの中国は、力が弱かったためアメリカやヨーロッパの国ぐにに勝手に入りこまれて、まるで外国の植民地のようになっていました。
毛沢東は、このような社会のなかで、自分の国が危機にあることを知り、国のことを真剣に考える人間に育っていったのです。