世界の大音楽家には、天才といわれる人がたくさんいます。モーツァルトは、そのなかでも、もっともおさないときから、すばらしい才能を発揮した人でした。しかし、35歳の若さでまずしさと病気にたおれ、死後、その墓地さえ不明になってしまった生涯は、けっして、しあわせではありませんでした。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年にオーストリアのザルツブルクで生まれました。父は、ザルツブルクの町にある宮廷楽団でバイオリンをひき、作曲にもすぐれた才能をみせた音楽家です。
モーツァルトは、3歳のころから、もみじのようなかわいい手で、ピアノをひくようになりました。
ある日、ナンネルとよばれている5歳うえの姉マリア・アンナが、父からピアノをおそわっているのを見ていたモーツァルトは、姉の練習が終わると、自分にもひかせてくれるように父にたのみました。まだピアノなどひけるはずがないと思った父は、くびを横にふりました。でも、腰かけによじのぼったモーツァルトは、まだ習ったこともないのに、さっきナンネルがおそわっていた曲を、ほとんどまちがいなくひいてしまいました。父は目をまるくしました。ナンネルもおどろきました。
「よし、この子を、きっと大音楽家にしてみせるぞ」
父は、モーツァルトに、つぎの日からピアノを教えることを約束しました。
やがて4歳になったモーツァルトは、自分の心のなかで、自分の音楽を考えるようになりました。そして1年ごには、コンチェルトを書き、またもや父をびっくりさせました。おどろくはずです。コンチェルトというのは、ピアノやバイオリンなどの独奏者とオーケストラが同時にひきあう、むずかしい曲なのですから。しかも、その曲は、おとなの作曲家でもなかなか作れないほどのものでした。
同じ年に、こんなこともありました。
父が、家で音楽会を開いたときのこと。ふたつのバイオリンと、ひとつのビオラで演奏が始まり、やがて1曲が終わると、買ってもらってまもないバイオリンをかかえたモーツァルトが、「ぼくも、いっしょにひかせてちようだい」といいだしました。父は、少しこわい顔をして反対しました。
でも、バイオリンをひいていたおじさんの許しがでて、モーツァルトがひきはじめると、おじさんは、いつのまにか、自分の手をやすめてしまいました。モーツァルトが、みごとにひきはじめたからです。
「これは、とても信じられないことだ。バイオリンはまだ、いちども教えたことがないのに」
父は、感激のあまりに目に涙をいっぱいためてさけびました。音楽会にきていた人たちも、いっせいに、おどろきの声をあげました。そして、天才モーツァルトの名は、またたくまに町じゅうにひろまりました。