おとぎの国のお城のような家。きらめくシャンデリアの下で、くる日もくる日も開かれる舞踏会やパーティー。花がさき、小鳥がさえずり、リスがあそぶ、ひろびろとした庭。春はフランスへ、秋はイタリアへ、馬車にゆられて夢のような家族旅行。
フローレンス・ナイチンゲールは、1820年に、こんなめぐまれた家庭に生まれました。
3つの大学を卒業した父と、教養が高くて美しい母と、それに何人もの家庭教師から、5歳をすぎたころには、祖国イギリスの歴史や、国語や、数学や外国語など、さまざまなことを学びました。ピアノや絵や手芸も習いました。ひとつちがいの姉とも仲がよく、いつもたくさんのめし使いにかこまれて、不自由なことは、なにひとつありませんでした。
ところが、ナイチンゲールは、小さいころから、少し、かわっていました。だれもがうらやむような生活を、自分では、あまり楽しいとは思わなかったのです。
たくさんの人といるよりは、ひとりであそぶほうがすきでした。心のやさしい母は、まずしい家へ、よく、おくりものをしていましたが、いちばん楽しいことは、そのおくりものを、母のかわりに自分がとどけることでした。そして、いつのまにか、自分からまずしい家の病人のところへ、おみまいに行ったり、看病に行ったりするようになりました。
「おじょうさまは、ほんとうに天使のようなお方だ」
まずしい人たちは、ナイチンゲールのやさしさに、心のなかで手を合わせました。でも、ナイチンゲール自身は、ほんの少ししか助けてあげられないのが、いつも悲しくてしかたがありませんでした。
「まずしい人や、病気になっても医者にみてもらえない人が、こんなにたくさんいるのに、わたしは、ぜいたくな暮らしをしている。これでよいのかしら」
やがて、こんなことをなやみ、人のために役だつ仕事を、しんけんに考えるようになりました。