中大兄皇子は、のちの天智天皇です。
推古天皇のあとの舒明天皇を父に、父の亡きあと皇極天皇となった宝皇女を母に、626年に生まれました。
皇子は長男でしたが、家には、豪族の蘇我氏と血のつながった、母親ちがいの兄の古人大兄皇子がいました。
父が亡くなり母が天皇になったのは、皇子が15歳のときでした。ところが、それから2年ののち、悲しいできごとが起こりました。
聖徳太子が亡くなって21年が過ぎた643年の11月、太子の子どもの山背大兄王のすむ斑鳩宮へ、蘇我入鹿の軍がおしよせました。
山背大兄王は、いちどは山のなかへ逃げました。しかし、入鹿軍が山へ攻めてくることがわかると、いさぎよく斑鳩宮へもどり、仏に手をあわせながら、妻や子どもたちといっしょに自害してしまいました。
わがままな権力をふるいつづけていた蘇我氏は、自分たちにつごうのよい古人大兄皇子をつぎの天皇におしたてるために、おおくの人びとにしたわれている山背大兄王が、じゃまだったのです。
「なんて、ひどいことをするのだろう」
山背大兄王の死を聞いた中大兄皇子は、入鹿をにくみ、すこしでも早く、蘇我氏をほろぼさなければならないと考えました。でも、わずか17歳の皇子には、朝廷を自分の思うままに動かす大豪族と戦う力など、まだありませんでした。
それからまもなく、高い学問をおさめて朝廷につかえていた中臣鎌足と、心をうちとけあった皇子は、鎌足も蘇我氏を心からにくんでいることを知りました。
「蘇我氏をしりぞけ、天皇を中心にした政治がおこなわれるようにしなければならない」
国のことを気づかう皇子と鎌足の心は、ひとつにむすびつき、いつかきっと、蘇我氏を討つことをちかいあいました。
