ルイ・パスツールは、けんびきょうでしか見えない微生物の研究に生涯をささげ、人間や動物を伝染病から救う方法を発見した、フランスの学者です。
パスツールは、1822年に東フランスのドールという小さな町で生まれました。
父は、なめし皮を作る、まじめな職人でした。母は、貧しさにもめげず、いつも美しい目をした、心のやさしい人でした。
少年時代のパスツールは、どこにでもいる子どもと、なにひとつ、かわりませんでした。きんじょのなかまと、いつもまっくろになって野原や川であそびまわり、この皮職人のむすこが世界の科学者になろうとは、だれひとりそうぞうしませんでした。
8歳のとき小学校へ入りましたが、絵がじょうずなだけで、成績はあまりよくありませんでした。中学校へ進んでも、やはり同じでした。でも、ただひとつだけ、先生をいつも感心させたことがありました。
それは、本を読んでいるときだけは、たとえ、なかまがそばでけんかを始めても気がつかないほど、しんけんだったということです。このことが、偉大なパスツールを生む大きな力になったのかもしれません。
ある日、中学校の先生に、思いがけないことをすすめられました。
「きみは、ものをふかく考える、すばらしい心をもっている。しょうらいは、教育大学へ進んだらどうだね」
パスツールは、まるで夢のような話に、目を輝かせ、胸をおどらせました。
それからしばらくして、パスツールは、ほんとうに教育大学へ進むため、ひとりでパリへでて大学の付属中学校へかよい始めました。ところが、わずか3週間で家族のいる町へかえってきてしまいました。生まれて初めて両親とわかれてみると、あまりにもさみしく、わが家がこいしくて病人のようになってしまったのです。
しかし、パスツールは、いちど心にえがいた夢をすててしまうようなことは、ありませんでした。
近くの中学校でがむしゃらに勉強をしなおすと、21歳のときにふたたびパリへでて、すばらしい成績で教育大学へ入学しました。このころから、パスツールの成績はぐんぐんよくなり、卒業してからも大学の化学研究室に残って、実験や研究をつづけるようになりました。
「ぼくのことは、もう、なにも心配いりませんよ」
パリへきてから、いつも父と母へのやさしいたよりを忘れなかったパスツールは、ぶじに卒業したときも、いちばんに両親をよろこばせました。ところが母は、それから2年ののち、わが子が人のためにつくす人間になることをねがいながら、亡くなってしまいました。